社会の窓

去年かおととしのクリスマスは、友達(現在私のTA)のLauraのおばさんの家におよばれ。でーーーっかいもみの木(しかも生)が家に飾ってあって、おじさん、おばさんともども、もんのすごーく「誇らしげ」にこのツリーについてどこで見つけた、重さはどれくらい、高さは・・・なんて語ってくれる。 


で、もちろんシメのコメントは「こんなんでっかいクリスマスの木は、日本人だったらみたことないでしょー」 


そんなに鼻の穴ふくらませて威張らんでも・・・・ 


カシコイ私はここでちゃんと「アメリカ人にとっての」日本人らしい日本人を演出することを忘れない(まだクリスマスディナー食べる前だからね!) 


「オー、こんなにでっかい木、見たのはーじめーてでーす」(←なぜか変な外人なまり)  リップサービスは忘れちゃならんのよ。


ここで会話の主導権はおばちゃんにバトンタッチ。
マルチ・カルチャー教の信者か、ちみは!と突っ込みいれたくなるくらい、このおばちゃんは、「自分がいかに他文化に対して心がひろくって、いかに普段からマルチ・カルチャーな生活をしてるか」というのを、どこからどうみても「異文化」な私を相手に話し始める。


こんなのは別にいまさら新しいことでもない。よくあることだ。
アメリカ中西部では、基本的にスカンジナビア系の移民が多かったことから、異文化間の交流・共存はあまり進んでいない(ここで私はニューヨークなんかを基準に考えてる)。 つーか、中西部の人たちは、政治的には進歩的でも、文化的には保守的。 それでも、「あたしは差別するような人じゃないのよ!」っていうのを一生懸命アッピールしたい人がたくさんいる。


で、おばちゃん、最近行ったヨーロッパ旅行の話を始めた。なんでもそのツアーでは、オーストラリア人、ドイツ、スペイン、南アフリカ、その他のいろんな国からの人が参加してたらしい。 ここで、おばちゃん、すっごい質問をわたしにする。


「ジャパンって、どのへんだっけ? たしか、ニュージーランドのすぐそばよね?」


・・・・・それ半球ちがうやん。


けど、おばちゃんのことを笑える僕ではない。なんかの会話でオマーンはどこ?とか、UAEアラブ首長国連邦)はどこ?って聞かれたら、私はきっと地図上でとんでもない場所を指差すに決まっている。 だから、あたしにはこのおばちゃんをバカにする資格はない(でもちょっとびびったけどね。極東って、極南とはちがうやん、ってつっこみたかったけど)


しかーし! このおばちゃん、次にすんごいこと言うのだ。


「ほんと、このツアーはいろんな国の人たちで一杯ですっごい異文化体験だったわー。 でもね! 南アフリカからの人たち。 白人だったのよ! アフリカだから、当然、・・・you know・・・黒人と思うじゃない?! 南アフリカに白人の人がいるなんて、思いもしなかったわ! How interesting!」




How interestingって・・・・・


・・・・・ちみは、アパルトヘイトを知らんのか? 




アメリカ人にこういうタイプの阿呆が多いことは経験からもよく知ってるけど、これにはわたくし、スピーチレス。 私のオリエンタルなハニワ顔がいっそうハニワに。 さすが、「世界史」が義務教育の中の科目として存在しない国。 世界はアメリカ、アメリカは世界。 


世界を知らずとも生きていける、それがアメリカの強みであり弱みなのよね。
それがこの国のフシギな魅力の一部でもあるんだよね。