社会の窓 ブログをはじめて

ブログをはじめて数ヶ月。日本にいる家族となかよしのお友達に向けて書きはじめたのだけれど、その過程でいろんなひとが立ち寄ってくれたり、いろんな人のブログを見に行ったりすることができました。 私のブログを読みに来てくれた方のブログにおじゃましてコメントを書いたり、レスポンスをもらったり。 


ネットについて、id:katsumushiさんがこんなことを書かれています

こんなRealなことがWebの、しかも自分のとは違うサイトを使ってやるなんて、まさにWebのRealへの回帰。みんなが踏み出さないだけで、本当はいますぐにでもできることは多い。インターネットで個人が意見を発信するということは、8年位前でも十分に可能だった。それがブログという浮き輪が投げられたことで、多くの人がいっせいにインターネットの海へ泳ぎだしたのである。

浮き輪はいろいろとアフォーダンスする。人は多くの不安を抱えているために、泳ぎだせずにいる。果敢に泳ぎだすという行為に感動もするが、こういった泳ぎだすことをなんとなくできるような気にさせるということの努力が実はある。ネット海を泳ぐための私にとっての浮き輪は、今「はてな」。


なてなに学ぶ (http://d.hatena.ne.jp/katsumushi/)5月22日エントリーより


ブログは、それなしでは遭遇することの出来なかった人との接点をつくってくれる。
私のようにインターネットのサイトを「読む」ことはしても、決して『参加』することがなかったひとにとって、ネット上で読むオフ会のはなしや、「だれだれさんの掲示板でしりあった〜〜さん」なんて会話は、ちょっとうらやましいけれど、私にとってはネット上の、「外部」の世界。


すごい勢いで一般的になったブログは、わたしみたいなネット参加バージンにも『ネット上の会話』や『ネット友達』ができるかもしれないという甘酸っぱい気持ちにさせてくれる。ネットをとおして誰かに届くことができる、そこから新しい友達や共同体ができるかもしれないという期待みたいなものを持たせてくれる。いままで「外側」にあったものが、あわい羨望でみていたものが、可能性として目の前に存在しはじめる。 その「可能性」というネットの向こう側に想定された『誰かさん』は、文通みたいな、そんな青臭いどきどきとわくわくを経験させてくれるような気がする。そんないつとだえるともしれない淡いつながりや、相手のことを完全に知りえないというもどかしさを経験させてくれるブログは、とてもロマンチックだと思う。