社会の窓

今日は大学院でのお友達ピーターと彼の奥さんリアンダのためのベイビィ・シャワー(Baby Shower)に行ってきました。 アメリカでは赤ちゃんが生まれる前に友人・家族があつまって、このパーティを開きます。(ちなみに婚約したらブライダル・シャワー、結婚式の前はバチェラーまたはバチェラーエット・パーティと、なんだかパーティだらけのアメリカの結婚生活)。 およばれされた人たちはそれぞれ赤ちゃんのためのプレゼントを用意してもって行きます。  今回、ピーターとリアンダは新しくマイ・ホームも購入したばっかりなので、ハウス・ウォーミング・パーティ(←ね、またパーティ)も兼ねたBaby Showerです。


友達のローラと一緒に私たちが持っていったプレゼントは赤ちゃんのためのものではなく(外の人がたくさんもってくるだろうからね)観葉植物とかえるの形をした鋳物の日照時計(太陽の影でいま何時かわかるやつ:Sun Dial)。


しばらくの間、サンドイッチ食べたりデザートたべたりして和んだ後、プレゼント・オープンの儀式がはじまります。 将来のパパ・ママたちが、みんなが持ち寄ったプレゼントをひとつづつ明けていくのです。そのたびに、観客であるわたしたちは「おぉ〜」とか「わぁ〜」とか「すてき!」「How cute!」なんて感嘆詞を発するのがお約束。


わたしはこのプレゼント・オープンの儀式がものすごーく苦手。 リビングでくりだされるスペクタクル。 なんとなく、こう、根が白けているわたしには、どうもこの白々しさがダメなのです。 今日も「なんだかなぁ〜」と思いながら、聴衆としての役割を果たすべくOh, wow, wonderufl等々のため息をもらしてきました。 



・・・・・ふぅ。