社会の窓

「お金はさみしがりやだから、たくさんあるところに集まる」なんていいますが、私の毎日もそんなかんじです(集まってくるのはおかねじゃないけど・・・・チッ


カリフォルニア州にある某大学から今日連絡があって、ファイナリストに選ばれたそうです。 3月に面接したいといわれてるのですが、南部の学校ともう交渉に入っているし、こういう状況はまったく想定外だったので、どうしたもんか・・・・。 さっそくアドバイザーと学部長にメールを出したので、彼らの意見を聞いた後、また対応しようとおもってます。そのときはまた、リアルタイムで報告しますね。


カリフォルニアの学校でのポジションは、私の専門にドン・ピシャな分野なので、ちょっと心が揺れるわぁ。 今年の就職活動で、私は3つの専門分野にまたがって応募しました。 一つはレトリック(修辞学)、もう一つは異文化コミュニケーション、最後はカルチャル・スタディーズ。 


コミュニケーション学という学術分野はおおまかにいって社会科学と人文系に分かれます。用は統計などの数字をつかってコミュニケーション現象を分析するか、しないか、です。 わたしは人文系で、その代表格のレトリック(修辞学)を専門にしてきました。 それが、どう異文化とカルチュラル・スタディーズに分岐していくかというと:


わたしがレトリックという人文系の専門領域でやりたいことは、カルチュラル・スタディーズという新しい分野を必要としています。簡単にいうと、カルチュラル・スタディーズは『文化』という現象に『権力』関係を積極的に見出していく研究で、この知的プロジェクトに参加することによって、レトリックをあたらしく考え直していこう、というものです。それを前線でやっているのが私のアドバイザーなので、ミネソタに来た所以です。 


この新しいカルチュラル・スタディーズという位置から考えていって、レトリックとはムツカシクいうと、思想、商品、噂、アイディア、流行などなどが、どういうふうに社会を循環していくか、そして、その循環回路を統御・規制しているものを勉強する分野です。簡単に言うと、レトリックとは郵便配達のおっちゃん・おばちゃんです。点と点が結んであって、その「間」を誰が、どういうふうに、どんなかんじで、いつ結んでいるのか、そんなことを勉強する分野です。


異文化コミュニケーションとは、もともと社会科学的に研究されてきた分野で、統計学・心理学がそのベースにあります。比較という枠組みをとおしてコミュニケーションや文化を理解するので、「アメリカ人と日本人のコミュニケーション・パターンの違い」なんてことを勉強します。 


この社会科学分野に私がどうかかわっていくかというと、カルチュラル・スタディーズという視点から批評的に文化を考え直そう、異文化の『異』、つまりなにがが『ちがう』ということはどういうことかを考える上で、異文化コミュニケーションに介入していってるのです。 ひと対ひとのコミュニケーションを超えて、体系的・構造的なものも含めて考えよう、とあたらしく広げていこう!という人たちがいます。 わたしはその波にのかってる(つもり)です。 カルチュラル・スタディーズという視点から見ると、たとえていうと、わたしがどんなに個人的に近所にすんでいるソマリア人のおっちゃんに親切にしても、その個人的親切だけじゃ、世の中の文化的・民族的・宗教的等々の差別はなくならんのじゃ?もっと、政府とか福祉とか、そういう制度をみなおしていかないかんのじゃ?と問う作業が、異文化というフィールドで可能になるのです。 


ながくなったけど、カルチュラル・スタディーズをコアとしているので、レトリックと異文化をあわせた3つの分野で自分を「売り」に出したのです。(わたしの大学院は面倒見がいいので、この「うり方」なんてのもアドバイザーが指導してくれます)。


現在交渉中のジョージア州の大学では、レトリックのポジションでオファーをもらっています。 以前電話面接してくれた学校二つ(モンタナ州ミシガン州の学校)は、異文化のポジションで話がきました(コケたみたいだけど・笑)。・ 今回のカリフォルニア州の大学はカルチュラル・スタディーズのポジションです。 この分野だと、チャレンジの種類・度合いも変わって、きっとやりがいがあると思うのです。 あぁ、浮気心。乙女の心は揺れうごいてます(爆) 


てなわけで、いろんなことがどんどんおこりつづけてます。ま、うれしいニュースだから焦らずそのときその時をしっかりたのしんでいこうと思ってます。(これを理由に博論を書くののばしのばしにしちゃったりして・・・・ いかんのだ! 喝!!)