社会の窓

12月は、あたしは水商売のおねーさんですか?ってぐらい、帰宅時間の遅い日ばかり。
忙しかった理由のひとつに、公募の審査があります。


うちの学部は今年、学部長のポストと、講師のポストの二つを公募しています。
Biribiは後者の公募の選考委員会のチーフを勤めています。



学部長のポストは、公募をかけているけれど、形だけ。
カモノハシ先生やBiribiがどんなに異を唱えても、学部長代理をしているミニーマウス女史が選ばれるのは暗黙の了解。
みんなきちんと選考をしてるふりなんかしてる割に、どうでもいいことで議論して、まじめに参加するだけでも時間のムダ。 



Biribiが任されている公募では、かなりの数の応募があって、しかもすごくいい候補者がたくさん。
学会で非公式な面接したあと、電話面接して、さらに候補者を3名まで絞ります。


電話面接のあとのディスカッションで、3番目と4番目の候補者について、どちらをキャンパスでの面接に呼ぶかで先生たちの意見がぱっくり半分に。  二人の履歴をみたら、どうかんがえても4番目の候補者は今まで残ってたのが不思議なくらいなのに。


最終的に投票で決着はついたのだけれど。



学部長の息のかかった先生が裏から画策したみたいで、とつぜん3番目の候補者から面接を辞退するメールが。





・・・・・・・・ はぁぁぁぁぁぁ





なんだ、この公募も結局おんなじことやん。




前の公募のときみたいに、能力とか履歴じゃなくって、『じぶんにとって都合のよさそうな人』とか自分がビビらないように『あんまりすごそうじゃない人』なんかを基準で選ぶんだな。



そうやって入ってきた人は、去年入ってきた先生のように、学部に新しい動きをもたらしてくれるわかじゃなく、権力者に寄生しながらうちの学部の悪い文化を生かしていくんだ。




もう、新しい人が入ってくるこという可能性に投資するのはやめよう。



学術だけでなく、きっとどこの職場でも人の決断って生々しいほど政治的で、それは100%悪いことでないとはわかっているけれど、生真面目にやってたら魂がもたないんだ。 




うちの学部は、変わらない。
新しい人が来ても、きっとそれぐらいじゃ変われないんだと思う。


その中で、どういう存在でありたいか。
カフカエスクな経験だけれど、ある意味、学部に対しての気持ちが冷めたというか、自分が思ってた以上に投資していた自分を知ることができてよかった。 これからは、もっとドライな視線で見ることができるかも。
 
ちょっと考えてみる。