社会の窓

禁煙ライフ1週間経過。イエイ! まだまだ地味につらいです。


さて、今日は前任の学部長であり、以前の私のアドバイザーでもあったキャンベル教授と一緒に晩御飯を食べに行ってきました。 彼女は(今ではちょっと古い形の)フェミニスト・女性運動関係のレトリックを研究している人で、日本とは研究上の接点はないのだけれど、以前の教え子のツテで、去年一年間、在外研究を日本ですごしました。


東京の某はてな大学で客員教授としていくつかクラスを教えて、日本での在外研究を終えた後はマレーシア、イスタンブール、ルーメニアなどヨーロッパを回って、アメリカに帰国。帰国後フィラデルフィアニューメキシコオレゴン、ワイオミング等々の場所を仕事を兼ねて旅していたらしく、つい先週ミネアポリスのマンションへとやっと落ち着いたそう。


その彼女のリクエストでMidori's Floating World Cafe(みどりの浮世亭)というこじんまりとした、私がミネアポリスで一番すきな日本食のレストランへ行くことに。

Midori's Floating World Cafe
お店の写真はこちらから。http://www.floatingworldcafe.com/FloatingWorldCafePHOTOS.html
お店のホームページは http://www.floatingworldcafe.com/

このレストランで、イスタンブールでのタクシーの運転の仕方に腹が立ったとか、日本でビザの更新のための手続きするのに電車をまちがえてとんでもないところにいったとか、ちょっと落ち込んだときは築地のおすし屋さんでお鮨を食べて元気づけたとか、鉄火丼を食べながらそんな話をたくさん聞きました。


66歳にして言葉がまったく分からない国へ単身で滞在するというのは、文句なしにすごいです。


上にキャンベル女史の女性学・フェミニズム、レトリック理論は古いと書きましたが(それで博論の方向性の意見が折り合わなかったから、結局わたしはアドバイザーをかえたのだけれど)、とはいえ、彼女たちの世代とものすごい努力のおかげで、私がいることのできる空間を大学院や「社会」という場所へ作ることができたということは、感謝・評価するべきだとは思うのです。そしてその社会的・政治的な成果は、彼女のような前世代の人たちが持つ、枯れることのないバイタリティーのおかげかもしれないなぁと、サッポロビールを飲みながら思いました。いわゆるアメリカのセカンド・ウェーブ・フェミニズムの人たちは、今でもバイタリティーにあふれた人たちばかりのような気がする。私は理論的にも実践的にもその世代には属さないし、リベラル・フェミニズムには批判的だけど、こんなバイタリティーを間近で観ると やっぱ脱帽です。いろんなストーリーや体験談を話す彼女は すごく生き生きして楽しそう。


元気は伝染する。今日はすごく明るい気分で一日がおわれそう。 5年後のわたしはどうなんだろうな。彼女ほどではなくても、躍動感をもった仕事をしていたいな。(5年後にちゃんと就職できているように、博論がんばりまっしょー)