研究

夏休みの間に浮いたり沈んだりと激動の毎日だったけれど、なんとか今書いている章(第3章)の形がみえてきた!(←前にもそんなこといってなかったか?なんてツッコミを入れるひとは問答無用で無礼打ちです)


論旨の流れは段々ハッキリしてきたのだけれど、それを一言一言、一文一文、きちんとつないでいくのは難儀やのぅ。もどかしいというか、自分の作文能力にあきれるというか。なので、一進一退だけれど、とりあえず真っ暗闇からは脱出したモヨウ。 ふひ〜 ながいトンネルやった。


今取り組んでいる章ではジュディス・バトラーというアメリカの哲学者・フェミニスト理論家の理論を歴史的記述のためのツールとして借りだしているのだけれど(去年出版されたGiving An Account of Oneselfを中心に。まだ邦訳はされてないようですね。バトラーの訳を多くてがけられている竹内和子先生かどなたか、早く邦訳してほしいなぁ)、ムツカシ・・・・・・。 この本はもうちょっと時間をかけてまた読まなきゃいけないけど、とりあえず章を構成する言説の分析は、形になってきたので、よしとする。 ここで二の足を踏まないで「とりゃっ」と書き続けることが大事。