社会の窓

わたくし、大コーフンしております。

というのも、さっき和太鼓のショーを見てきたばかりで感激やまぬところです。観てきたのはMu Daikoといって、ミネアポリスを拠点にした小さな太鼓チームの10周年記念講演。今年の夏に無料でパフォーマンスしているところを偶然公園で見かけたのがきっかけで、それ以来一度彼らのちゃんとした(っつーのもヘンだけど)パフォーマンスを見たいと思っていたのです。

Mu Daiko
http://muperformingarts.org/

もぉぉ〜〜〜〜 そりゃぁステキでした!!! 今まで和太鼓なんて特に興味を持つわけでもなかったのだけれど、あの音がおなかにズンズン響いてくる感じ、身体に直接届いてくるような感覚がステキで、コーフンしまくりです。 音楽に感動して涙がでそうになったのは、生まれてはじめて。


一緒にいったお友達によると、本物の和太鼓っていうのは一本の丸太の中をくりぬいてつくるそうで、とても高価なものなのだとか。 このMu Daikoはもちろんそんな資金をもっているようなチームではないので、アメリカ人の参加者が、「じゃぁ 作ろう」と、ワインの樽を利用して全部の太鼓を作ったそう。 おそるべし、アメリカ的DIY精神(笑)(DIY:Do It Yourself)


この発想は、とてもアメリカ的というか、いいなぁと思うのです。これが日本人または日本という背景だったら、きっと「太鼓を作る」なんて考えないだろうし、「そんな太鼓を作るなんて・・・」と腰が引けてしまうと思うのです。 アメリカという背景にすると、太鼓の持つ意味がすごくいい意味で神聖さを失うというか、太鼓のもつ意味の重さが軽くなって、「んじゃ、作ろ」なんて発想をすることができるんだと思うのです。


こういう発想が太鼓という音楽が旅していく路を作っていくのですね。そうでなければ、私はいまここでこの音楽にふれてコーフンすることはなかったのよね。 


こんなふうに音楽や思想や文化が流通する過程や、どうやってそういう路ができていくか、ということを描写してその政治性を問うことが私の研究のコアにあるのですが、なんだか久しぶりに自分がそんな路の一部になったような、バケツリレーの一部になったような(←ちょとちがう?)、そんな気がして身体でコーフンしてます。もう、「日本」だからうれしいとか、そんなこと関係なく、一個一個の細胞がぷるぷる踊ってるような。


Mu Daikoでは、初心者の体験コースで太鼓のクラスがあるそうな。すぐ影響を受けるわたくし(笑)、$45とお貧乏学生の私にはちとブルジョアな値段だけれど、行ってみようかな、なんて考えております。