社会の窓

大学院、とくに博士課程に入ったばかりととき、私はナイーブにも、博士号とったら就職はむずかしくない、人生は楽にすすんでいくものかと思ってました。 現実に就職活動してみると、んなことあるはずもなく、日々、不採用通知のお手紙と向かい会うことに。(今週も2通きたよ〜ん・泣)


高校受験のときの倍率はいったいどれぐらいだったんだろう。九州の田舎だったからたいしたことありえないのに、あれはあれで、中学生の心にはストレスだった。 


大学受験のとき、地方の私立大学だったから合格率は10倍とか、あってもそんなもんだった。気持ち的にはストレスあったけれど、受験勉強するのは嫌いじゃなかった。このあたりで、結構勉強することのたのしさ覚えたかな。大学入ったら、遊ぶのに忙しくってそんなもん吹っ飛んだけど。


大学院の修士は、深く考えずに2校だけ応募して(今考えるとオソロシ〜)、お金をくれたところに行った。 大学院に倍率があるなんて、知らなかった。なぜここに受かったのか、いまだにナゾ。


倍率を知らずにのほほ〜んと博士過程に応募。再び、お金をくれたからここに来た。ここの合格率は15とか16倍だとか、後から聞いてのけぞった。 それだけ入るのに大変なんだったら、その先の就職はそれ以上難しいはずないわ。 余裕かまして、るんるん学生やってました。


応募する大学によって倍率は変わるけれど、今回面接をしてくれた学校での競争率は25倍。 えぇ、25倍です。これで一般的に比べて低いほうです。 わたしの人生、どんどんムズカシクなっていってます。 大学に入ったら、その後の人生はわりかしスムーズに、末広がりに楽にいくはずだったんじゃ・・・・・(←オレはバブル思考をまだひきずってるのか?)


今年の目標はファイナリストになることだったので、実際に面接を受けて、自分でうまくやれたと思うので、それだけでとりあえず満足・・・・・したいのですが、なんだかいろいろ考えることになってしまいました。


今回訪れた学校は、あまりレベルの高い学校ではありません。したがって、生徒の基礎知識がちがうので、この大学で教えるということは、今までとは全く違った仕事の方向性が出てくることになりそうです。 ま、オファーもらってから考えればいいことなのですが、自分のエゴみたいなもんとか、その逆の謙虚心とか、いろんなものが天使と悪魔のように頭のなかで渦巻いてます。 


ファイナリストになるまでは、「なんでもいいから仕事くれ〜」ってな態度たったのが、仕事もらえそうになると「えぇ、こんなん?」なんてエラソーな態度に変わってってるのかもしれません。 私の大学と地方のちっこい大学の生徒の質を比べてもしょうがないのに。 なんだろ、この「あたしはもうちっとましな学校にいけるはず」って根拠もなく思ってしまう、自分の尊大さ。自分に見栄はってどーするんだ、オレ?  


もうひとつ。うちは、相方も学術の人です。ふたりアカデミックなお仕事ができる場を探すというのはあまり簡単でないようです。 のろけもバッチリ入るけれど、相方には才能があります。いまはニュージーランドの大学で非常勤をしているけれど、トップレベルのいい大学です。わたしが面接した大学に来るということは、ステップ・ダウンです。 二人ともアカデミックな仕事を同じ場所で続けることは、ほんとうに難しいです。今まで8年も遠距離してきたので、この先どうやって仕事を両立しながら一緒に住むかが、二人の課題です。面接をしてくれた大学が、その課題を達成することができる場所か、いま一生懸命考えています。(胃が痛むぜ)


大雑把だけれど、こんなこと考えてます。オトナになるのは、なかなかムツカシイです。