社会の窓

アメリカの大学制度について(続)


(2)Tenure Track(常勤採用)の先生たちのランク

常勤(もしくは正社員)として採用されたら、ここで初めて先生たちの「肩書き」がでてきます。 


日本の場合だと、非常勤の先生は「非常勤講師」という枠組みでとらえられるように、アメリカでも非常勤講師(Adjunct)の人たちは、Adjunct Faculty memberという名称でとらえられ、生徒たちにはProfessor○○とかDr.☆☆とか呼ばれます。(この場合、Professorは肩書きではなく、日本人が一般的にお医者さんや政治家、教員に対して「○○先生」と呼ぶのとにてると思います)


さて、常勤採用になると、以下の順序をたどってエラくなる、もしくは給料(と権力)が上がっていきます。会社の仕組みで言うと、昇進の順序ってなかんじでしょうか。


1.Assistant Professor (アシスタント・プロフェッサー)
これが常勤になるともらえる第一歩の肩書きです。新卒の私は、もちろんこれがはじめてのお仕事なので、この肩書きです。 会社では、係長とかなんでしょうか。 それとも、その前にいろいろ役職があるのかな?私が日本で働いた会社は外資だったので、係長とか課長とかなかったので(きっと違う名前で呼ばれてたんだろうけど)、まったく知識がありません。 日本の大学組織では、「常勤講師」となるのかな? 講師と助手って、どうちがうんでしょうねぇ。


この肩書きの先生は、先日お話したテニュアの審査前、ということです。 5〜6年後にテニュア審査されて、これにパスするということは、次のランクにいけるということです。 このテニュアは、ドラクエにでてくる強敵みたいなもんで、これを倒したあとパワーアップできるのです。


ドラゴンを倒す、なんて軽く書いてますが、テニュアをパスするということは、そりゃぁ大変なことです。 そのために、研究系大学にいる先生たちは必死こいて論文を発表して、教育系大学にいるせんせいたちは必死こいて授業の質を上げたりするわけです。5年間かけて。 (教育系・研究系の大学の区別については、次回書きます)。 


日本の大学では、常勤採用の場合は終身雇用がはじめから前提になっているので、つまりこのテニュア制度というのがないので、よく「研究をしない先生」が問題になったりするわけです。 日本の大学内部の事情は、ぜひこちらを参考に。これ、ものすごく参考になるはずです。

筒井康隆著 文学部唯野教授

文学部唯野教授 (岩波現代文庫―文芸)

文学部唯野教授 (岩波現代文庫―文芸)


テニュア審査は就職後6年目にあるのですが(学校・分野によって変わるかもしれません)、これにパスしないということは、その学校にはこれ以上いられないということです。 つまり、不合格だったら非常勤に降格とか、またがんばって何年か後に審査をうけることはできないのです。 


会社の昇進試験とは違い、パスしないということは、その大学にとって5年間の投資が無駄だったということなので、その先生は新しく就職活動をしなければいけません。 だいたい1年間の就職活動の猶予が与えられますが、その1年を超えると、その先生はもう大学に籍がなくなるのです。こえぇぇ〜!! わたしが今の大学院にいる間に5人の先生たちがこのテニュア審査を受けましたが、そのうち2人の先生たちは不合格で去っていきました。 パスしなければ、他の大学でまたアシスタント・プロフェッサーとして始めなければいけません。


2.Associate Professor(アソシエート・プロフェッサー)
めでたくドラゴンを倒して「ちゃららっらら〜♪ Biribiは給料・政治力があがった!」となると、アソシエート・プロフェッサーとなります。ここで初めて終身雇用になります。 


日本でも、アメリカでも、大学の先生たちの終身雇用が問題として取り上げられることがありますね。わたしは学術の立場にいるので、もちろんバイアス入ってます。が、はっきり言います。 研究者の終身雇用制度は必要です。


もちろん研究しない先生たちはたくさんいます。そういう人に税金を使うのはいやだ、という気持ちも分かります。 日本の制度とアメリカの制度は歴史的・政治的・社会的な違いがあるので一般的にまとめて議論することは危険ですが、終身雇用制は学問の自由を保障するためのものです。職の保障がなければ、研究者の仕事は制度的に・政治的に妥協されます。その分野でも、新しいこと、最先端のこと、新地を開いていくことが、研究者のしごとです。それは、伝統的なもの、確立された知、制度にとって必ずしも折り合いのつけやすいものではありません。そのなかで、学問の自由が研究という職場で確保されなければ、知的労働は、妥協されて道具化してしまいます。 それは、危険です。 


どの制度内にも、「ムダ」はあります。 能力がないのに役職についてる人、しゃべってばっかりなのにあたしと同じ時給もらってるひと、仕事できないけれどすごく人のいい係長、意味もなく処理されるたくさんの書類、等々。それでも、人はパンのみを食うて生きるにあらずで、制度もギチギチに管理し始めると、制度そのものが崩壊するのではないのでしょうか。制度内のムダを削減することは悪いことではないかもしれません。その過程で、ムダを排除することに集中しすぎて、その制度が何のためにあるのか忘れるのは、恐いことだと思うのです。 


鼻の穴をおっぴらげて主張してたら、脱線しました。 えと、アソシエート・プロフェッサーは日本の大学でいうと、きっと助教授あたりでしょうか。 会社でいうと、専務とか、そんなんかなぁ? 


3.Professor プロフェッサー
アソシエート・プロフェッサーから昇進すると、こんどは教授、プロフェッサーという肩書きがもらえます。 もちろんお給料もあがるし、責任も仕事も増えます。 


私のいる大学では、まずテニュア審査のために、本を1冊出版していることが条件の一つです(その他にも論文の数とか)。 助教授から教授になるためには、もう1冊本を出版することが条件の一つとして入っているようです。


教授になると、学部長になる可能性がでてくるようです(これは、学校・学部によってまちまちです)。 学部長というと、偉いひとみたいだし、かっこいいような気がするのですが、私の知ってる限り、先生たちで学部長になりたい!という人は、ものすごーく少ないです。どちらかというと、嫌がられている役職のようです。 


なぜかというと、学部長になるとAdministration(管理・事務)系の仕事が膨大に増えるため、研究の時間がさかれるのです。 だれが学部長になるかによって、学部の雰囲気も変わります。学校によっては、数年年任期で教授たちの間で後退で学部長の役を受け持つ学部もあれば、学部長の役職を果たすために雇われている教授もいたりします。 私の学校は前者で、3年任期で、選挙制。院生と先生たちが投票して学部長を選んだり、続投をお願いしたりします。 この選挙に院生も参加させてもらえるところが、うちの学校らしいところ。 ものすごく民主主義で、いろんなことがオープンに決断されます。


4.Professor Emeritus(プロフェッサー・エメリタス)
大学の先生たちの定年は、学校によってちがいますが、一般的に75〜85歳あたりです。定年退職のない学校も、たしかあります。ドイツの学校とか、そういうところ多いようです。 日本では70歳前後ときいてます。どうなんでしょ?


退職する先生たちのなかでもとくに、その研究分野でのス-パー・スター、ようは「大御所」的な先生たちがいます。 その先生たちは、名誉教授になることができます。 退職する先生たちみんなが名誉教授にはなれないので、どういう基準でそうなれるのか、わたしは知りません。


名誉教授のメリットはなにかというと、(これも学部によってかわります)、一応退職したという形なので、授業をおしえることはありません。が、学部内にオフィスを持ち続けることはできます。 研究したかったら、ずぅっと研究できるのです。 よく冗談で、「あの先生が死ぬときは、研究室のイスの上だね」なんていわれますが、ホントにある話です(笑) 


大学の先生たちの役職は、こんな感じです。
次回は、研究系・教育系大学のちがいについて書きます。