社会の窓

木曜日からシカゴへ行ってきます。学会なのです。
久しぶりにアドバイザーやお友達と会えるので、むっちゃ楽しみ。 うひ♪ 

ひさしぶりのPecking Oder of Academics。 大学組織からちょっとそれて、今日は学会の話など。


発表論文の選考や組織構成はそれぞれの学術分野でずいぶん変わると思うのですが、それぞれの学術分野にはメインの学会がひとつか二つはあります。 文学だとModern Language Asscoation、哲学だとAmerican Philosophical Associationなどのようにです。 だいたい年に一度学会がおおきなホテル(または大学)で開催されます。


私が今回行く学会も、全国(全米)規模の学会で数千人の人が集まります。この学会ではこまかく専門分野によって部門(Division)があって、学会発表のための選考に出す場合は、その部門に論文を提出して その部門に所属する専門の複数人に査読してもらいます。 たいてい3〜5人の査読員で、私の1〜5段階評価で『いいんじゃね?学会発表していいよん♪』または『なんじゃこりゃ。ダメよん♪』が決まります。 1が『いけてねぇ』で5が『いいねぇ』です。 


Biribiが某部門に論文を出したのは2月の上旬。 5月には学会からのメールで、3人の査読員からオール5をもらって選考パスしたとの連絡が入ってました。


7月になって、問題浮上。 この某部門はでは、発表できる人数が60人なのですが、手違いで100人に合格通知を出したそうです (どんな手違いだよっ)。 この余分な40人は、『ごめんね、ほんとは不合格だったの。』とメールをもらってポカーン (・o・) Biribiもこの40人の一人でした。はじめて学会の発表選考に落ちた・・・・(悲)


手違いや間違いはどこにでもあることなので、それ自体は気にならないのだけれど、オーガナイザーがその余分な40人をどうやって選考したかを公表しないのは理不尽です。 査読で平均3だったけれど有名な先生がパスしていたり、納得いかないところがいっぱい。 査読の意味はあるんやろうか? そう思う人たちはたくさんいたようで、部門の運営自体の問題として学会でミーティングがあるようです。これは組織の問題なので、ちゃんと話を聞いてこようと思ってます。 
 

てなわけで、今年は発表なし。発表があると自分の論文でいっぱいいっぱいになるから、たまにはいろんな人の発表きいて勉強に専念できていいかもね。 



お友達に会えるのも 楽しみだ(わくわく)