社会の窓
だだっ広いアメリカのこの田舎町で、こうしてお友達になったのも何かの縁。
悲しいときは、みんなでお昼ご飯食べながら、日本語でべらべらおしゃべりするのが一番。 いつも集まってわいわいできる女友達3人、それぞれ持ち寄りで、旦那さんをなくしたお友達のお家へ。
ひとりは、豚汁と卯の花を。 中国に留学していたことのあるもう一人は、激うまのチャーハンに、モッツアレラチーズを春巻きの皮に巻いて揚げたやつ。 Biribiは鶏肉をお酢で煮たさっぱり煮に、にんじんのきんぴら。 あと、プリン。
旦那とどんな風なケンカを最近したとか、来週のお葬式でのプロラムに載せる詩はどれがいいとか、会社で最近あった経費削減の話とか、いろいろいろいろ。 ひたすら食べて、笑って、ちょっとだけ泣いて、また食べて、みんなでお茶碗洗って、なんどもなんどもお茶入れて。
人前で泣けるというのは、いいことですね。
たすけて、っていえるということだから。
人前で泣くというのは、こわいことでもありますね。
一番弱いぶぶんを拒絶されたら、すがるものがなくなるような気がして。
友達でも家族でも、こういうときにかけてあげられる言葉って、ないのかもしれません。
出てくる涙や感情を、受け止めてあげることができるように、そこにいるだけでいいのかも。
今日集まった3人で、これからも定期的に集まってご飯食べたり笑ったり怒ったりしながら、彼女のそばにいてあげようね、といって別れてきたのでした。