社会の窓

2年前に新しい大学長が着任していらい、うちの大学は荒れにあれまくっています。
かなり強烈なリーダーシップで大学を発展させようとしているのですが、そのやりかたがかなり独裁的なのと、いろんな形で教員を大学運営の組織・過程から排除したうえ、異議を唱える教員たちのことを『無能』だと大学外の場所で公言しまくりなので、キャンパスの中から大学長(プラス副大学長)へ対する疑問の声があがり始めています。



その中で、大学教員にとってたぶん一番大切であるテニュア(終身雇用)の審査基準を独断で大幅に変えただけではなく、それを遡及して行ったのです。 


通常、テニュアの申請に上がるのは着任してから5年目。
5年前にうちの大学へ来た先生たちは、別の基準でテニュアのための準備をしてきたのに、今年になって『あ、新しい基準にしたから。その基準によると、君の業績はテニュアの基準に満たないから、ごめんちょ。』 ということです。


先学期、かなりの数の先生たちがこれでテニュアをもらえず、キャンパスに火がつきました。



新しい基準では、以前より研究業績に比重がかかっていて、それ自体はBiribiは悪いことだとはおもってません。 ただ、どの研究業績が評価に値するかはそれぞれの分野ごとで変わるわけで、一概に判断されるべきではいはずです。 


たとえば、人文系のBiribiが学会発表するのと美術の先生の展覧会を等価とするのは、どうかと思うのです。 


そして、予告なしに新しい基準を遡及して行うことにも疑問が残ります。 


Biribiはまだ就職して3年なのでテニュアの審査まであと2年あるのですが、新しい基準だと、Biribiを含めてたくさんの先生たちがそれまでの研究を含めた業績がパーになることになります。 具体的には、学会での論文発表は研究業績として認められず、学術雑誌に掲載された論文だけが研究業績としてみなされます。 


これは、かなり横暴。学会によるけれど、論文発表はそんなに簡単じゃありません。 
それを無価値としてみるのはどうよ?


論文の出版は早くて1年、平均で1年半はかかります。 残りの2年の間に新しく規定された数の論文が学術雑誌に掲載されるのは結構タフ。 


翻弄されまくりの先生たち、ついにファイヤー!!!! 
怒りの炎がキャンパスを満たすことに。


書き出したら長くなったので、続きは次回に(今、オフィスだし・笑)