社会の窓

松の町へ来てはや4年。


今のポジションのオファーをもらったときに、当時ニュージーランドの大学で講師をしていたヘンゼルの職も交渉して、非常勤のポジションをもらいました。


仕事を始めた当時、学部長はヘンゼルの常勤のポジションにつけるように数学部(うちの学校、哲学はなぜか数学部の下についてます)の学部長に話をする、と言っていたのですが。



当時からBiribiは学部長のことをまったく信用していなかったので(面接のときにさんざん自慢話きかされた・苦笑)、こつこつと地味に水面下でネットワーク作り。



仕事を始めて2年目でディーン(学部のもうひとつ上の組織の長)から声がかかって、アシスタント・ディーンになったとき、いろんな学部、ランクの先生たちと仕事をする機会に恵まれました。 他の学部の学部長ともお仕事できたし、若い先生から年配の先生たちに会うことも。


ディーンがとてもBiribiのことを評価していてくれて、『近いうちに予算をなんとか組んでヘンゼルをフルタイム(終身雇用の可能性がある常勤じゃないけれど、非常勤よりずっとお給料がマシ)のポジションに移したいと思ってるんだよ』と言ってくれた矢先、新しい大学長がやってきて大学の組織大編成。 


Biribiの学部は別のユニットに移ったので、アシスタント・ディーンのお仕事も終わり。 別のディーンの下に学部が所属することになったので、振り出しに戻る。 がびーん



日本もアメリカも、非常勤の大学講師のお給料は笑えないほど少ないです。院生のときにもらっていたお給料とほぼ同じ額。 福利厚生もないので、大学をかけもちで生計を立てている人、たくさんです (日本もアメリカも、この状況はなんとかせないかんよ ドン!)。 


アメリカでは特に、文学、史学、哲学の分野が就職難です。
以前にも書いたように、250から400倍の競争率です。 Biribiの修士時代に知り合った文学部のお友達は、就職がないので博士をとったあとしばらく大工をしてました(苦笑)。 


そんななかで、非常勤の職があるだけでもマシといえばマシなのだけれど、オークランドではフルタイムだったし、なによりもトップの大学だったので、一向にステップアップの可能性が見えてこない松の町大では自信もつかないし、キャリアになるような経験を積む機会もないので、競争率の高いフィールドではどんどん不利になって、悪循環。 この就職難の中でヘンゼルとしては、「一生非常勤なんじゃ」って焦りと恐怖を抱えてるんだろうなってのが伝わってきて、Biribiも歯がゆい思いをしながらの3年目を過ごしました。


書き出したらやっぱり長くなったので、続きはまた明日!