社会の窓
アメリカに来た頃、というか最近まで、マクドナルドとかバーガーキングのドライブスルーで早朝から長蛇の列をみかけると、
『アメリカ人って、これだからいかんよねー』
なんて思ってたのですが。
子供をもって、睡眠不足があたりまえになって、最低限の生活と仕事をこなすのに終われるようになってから、
『あー そうなんだ。 みんなギリギリの生活してるんだ。食べたくて食べてるわけじゃなくって、ちゃんとご飯作る時間とか余裕がなかったんだねー』
と同情のまなざしで見るように。
お弁当作ったり、朝ごはん作ったりする時間がなかったら、安くすませられるのって、やっぱファーストフードやし。
時間がなくってそうなってるんだから、ささっと買えて食べれるのは、便利だし。
うちはファーストフードに行くことはめったにないのだけれど、去年かな? 睡眠時間4時間とかばっかりのときは、そうなってた。 『も、いいや』って、早朝オフィスに向かうときとか、『朝から何にもたべてないー 腹減った〜』って時とか。
だから、肥満率の問題とか、健康問題とか、そんなものが世論にでるときは、『ご飯を作ってるかーちゃん(もしくはとーちゃん)の、労働環境とか、サポート環境を問題にしるべきなんじゃ?』と思うのです。
自力で成し遂げれることって、実は少ないと思うのです。
みんなが健康な生活を送るためのインフラって、作れないのかな? (でもスウェーデンとかではできてるようだし)。
そんなことを考える、午前5時@オフィス。