社会の窓

その昔、まだ子供を持つ前。結婚も前だったかな?
日本人の人と話をしているときにゲイの話なった。 



『え? いいんじゃない? 愛は愛だからねー  同性愛の結婚とかあっても』って発言をしたら




『そんなこと言って、もし自分の子供がそうだったら困るやろっ!!』




って、『叱咤』という言葉が適切なトーンで言われたことが。




それまで同性愛について反対するなんて思ったこともなかったし、なによりも、他の人がそんな考え方するのにいたく仰天したのを覚えてます。





困るのか? もし、自分の子供が『かーちゃん、実は俺(私)、ゲイなんだ』って言ったら。 




あの会話から数年。10年はたったかな?
キッパリ言えるぜ。 わたしは困らん。 



なんで困るん?
世間に対して恥ずかしいから?  それ、自分の問題やん? 自分の中で決着付けないかんことを、子供の問題にすり替えたらいかんやろ。 世間体と自分の子供だったら、自分の子供の方が比較するほうがおかしいぐらい大事やない?



家族にはいろんな形があるよ。
子供とじーちゃん、ばーちゃんだけの家もある
ママと子供だけの家もあるよ。
パパと子供だけの家もあるし、パパが二人の家もあるよ。
ママが二人の家もあるし、ファビの家みたいに、パパとママが一人づついる家もあるよ。 



うちはそう言ってます。



それは海外に住んでいるから、って言われれば、そうやね。
いわゆる『ふつう』から外れる人たちを包容する力を日本よりも持っている場所に住んでいるから。


でも、ブラジルに住んでるからって、子供への愛は変わる? 
ロッコに住んでも、フランスに住んでも、日本に住んでも、自分の子供への愛は変わらんでしょ。 だから、どこに住んでいようと、困ったりせんのんやない?  



堂々と愛せばいいやん。