社会の窓

学会は明日の午後からなので、今日はちょっとのんびり。
久しぶりに市バスからみえる中西部の風景。 そうそう、一軒家は平べったくなくって縦長。3階建てってあたりまえなのよね。 



15年前、あたしのアメリカ生活はここから始まった。



ちょっとだけ会社で働くという経験をした後、人文系に冒険に行くか、無難にMBAに進むか迷った後に えいやっ と飛び出してきたところ。  


住む場所も決まってなくて、しかも飛行機が遅れて、到着したのは夜中12時過ぎだったな。 日本人会の人のアパートで居候させてもらいながら、アパートを必死で探すこと数日。 数日後みつけたのは、定年退職したおじいちゃんが留学生のために自宅の部屋を貸し出していた家。 


セルビア人のメル氏は、元消防士で、地域のチェスのチャンピオンで、すごくステキな人だった。 私がミネソタに引っ越した後もしばらくお手紙のやり取りしていたのだけれど、心筋梗塞で倒れたあと、カナダにすむ息子の家に引っ越して、あの家は売ったと聞いたのはもう7年前。最後に電話で話したときは、もう痴呆が進んでいたようで、すごく遠く感じたのを覚えてます。


たった2年間だったけれど、同期のルネーと一緒にアパート暮らしだった修士時代は楽しかった。  セルビア人、イタリア人、台湾人、そしてアメリカ人がいて、みんなで一緒にご飯作ったり、宿題したり、ケンカしたり、バーベキューしたり、とにかくよくしゃべって一緒に時間をたくさん過ごしたのを覚えてる。 



イタリア人のマルタが、『Biribi、これゴッマージィオ使ってるのよ。 えっ! 知らないの?! 日本のでしょ? ゴッマージィオ〜よ、ゴッマージィオ!』 




ようやく『ごま塩』のことだと分かったのは、数十分後(笑)




ほとんどの同期は一般企業へ就職。 みんな、視野が広かったのね。 あたしも当時みんなみたいに大人の視野を持ってたら、違う人生歩んでたかもな。 それにしても、修士程度じゃなんの知識もスキルもついてないって、 今更ながら思うわ。 そんなあたしを博士課程に受け入れてくれたミネソタも懐広いわよね。



まさか15年後に同じ場所に立つなんて、想像もしなかったよ。
今、15年前のあたしに会えたら、なんて言ってあげよ?



思いつかないな。
言ってあげられることなんて、なんにもないかな。
もう一回人生をやり直せるんだったら、ここからやり直すけどね。 あたしはアメリカでの勉強の仕方をさっぱり知らなすぎた!



久しぶりに見るミルウォーキーはもっとノスタルジックに映るかと思ったけれど結構そんなことなくって。 すごく遠い感じ。 あたしはここからずいぶん遠くへと移動したんだなー   よかった、15年間停滞してなかったってことよね(笑)


時を経て今日の夜は、博士課程でがんばっている後輩と一緒に晩ご飯。
楽しみ!