* 師匠とよばせて

今日は、さっぶいよ〜。摂氏マイナス12度でっせ。 今日の一句、


       冬の空 鼻毛も凍る 寒さかな (季語:鼻毛)



鼻毛が凍るとね、鼻の中がパリパリして、不思議なセンセーション。
ババシャツだけじゃなくって、ババズボンも総動員して今日もチャリンコかっ飛ばしておべんきょしにいつものコーヒーショップへ。


いつもどおりマグカップいっぱいの紅茶を傍らにお勉強した(ふりした)あと、一息つこうとマフラーを首に巻いてコーヒーショップの外へ出て煙草をすっていると、お客さんの一人でけっこう年配なおっちゃんがドアを押して出てきて、私に話しかけてきた。


こんな場合、十中八九、いろんな社会正義に根性を燃やすアメリカ人は『どれくらい煙草吸ってんの? 煙草はからだにわるいよー、やめたほうがいいよー』と赤の他人に向かってプチ説教たれる輩がヒジョーに多い。 (そんなん、知らん奴のほうがおかしいわい!) 特に最近アメリカでは、喫煙は『健康に関する問題』から『社会道徳の問題』へとその容貌を変えてからというもの、いろいろしたり顔に説教たれて『社会正義の味方』みたいな顔しながら自分の存在の正当性を満足させる人口が増殖爆発。 


正義を語りたがるアメリカ人。『喫煙』は文化政治的に全く無難なトピック。社会的にも科学的にも受け入れられた知識としての禁煙は、『喫煙は害』という主張に対しての反論はほとんどありえない。つまり、議論ふっかけても負けることのない議論(その時点でもう「議論」ではないんだけど)だから、『道徳的正当性』のマントを身につけて『あんたのこと心配してやってんのよ』と親切なフリをしながら『正義』のパフォーマンスが始まる。 とにかく、めんどくさいのだ。 もー、ちかっぱいしゃーしいーとって(博多弁もでてしまうよ、ふんとに。)


あー、またそのタイプの人かなぁと思いつつ、コーヒーショップから出てきたおいちゃんの言葉に耳を貸すと・・・・


「あんたたちスモーカーは、いいよ。おれら、夜中に自転車乗ってたりするときには、真っ暗だから歩行者なんて見えないんだけど、に煙草の火があると目印になって、後ろからぶつかったりするの避けることができるから、ありがてーよ。安全だよ」


うほほほほほ。ほー、こんなこと言われたのは初めてだよ。
実践的にどうかは別問題として、そんなものの見方っつーか、まったく考えもしなかったおもしろおかしな視座にいたく感心してしまった。 いいねぇ、既存の事象や議論の枠に捕らわれの身になることなくコミカルに視野を展開することができるってのは。『道徳正義・嫌煙アメリカン』にいちいち腹立ててた私は、まだまだ器がちっっちぇーのぅ。