社会の窓  大学院というマシン (其の0)

アメリカの大学院生の多くがティーチング・アシスタントやリサーチ・アシスタントなどの形で、それぞれの大学院から学費の免除をうけ(実際には学部が給料の一部として学費を大学に払ってくれている)、お給料をもらいながら生活しています。


理系・文系、それに加えてプロフェッショナル・ディグリー(Professional Degree)と呼ばれる法学部、医学部、薬学部など分野でちがいがあるので一概には言えませんが、基本的に大学院へ行く際は、Follow the Money(お金についていく)というのが、大学院選択の基準となるスローガンです。(例えば、医学部ではいわゆるアシスタントというのはあまりなく、ほとんどの学生が自費だそうです)。


私の知っている人文系に限って具体的に言うと(ちなみに、アメリカには理系・文系という区分はありません)、大学院に願書を出す場合、奨学金または上記のようなアシスタントにも応募して、その大学院から「お金出すけん、うちにこんね?」という形でオッファーがきます。 はっきり言うと、アシスタントなどの形でオッファーがないということは、その大学院にあまり求められていない、ということです。学校、学部それぞれですが、学部からお金をもらってくる人と、自費で来るひとでは、大学院側の対応もちょっと違います(要は、投資されてるかどうかの違いがでてきます)。


私の所属する大学院(「おらが院」と呼ぶことにします)にいる院生のほとんどはアシスタントとしてお給料をもらって、学費免除になっています(わたしもです)。ただ、私の所属する院が他の学部や学校と違うのは、アシスタント意外に、講師としてクラスをそっくりまかされることがあるということです(他の学校では、院生がクラスを完全に担当するところがあるのはまだ聞いたことがありません)。 


おらが院にも、去年の9月に新しい院生が入ってきました。みんなそれぞれプライドや、エゴや、ハッタリや、ビビリや、いろんな気持ちが入り交ざったきもちなんだろうね。私もそうだったし。 今年の新入生は特にエゴがでかい、と古株たちの間ではもっぱらうわさです。 


そんな中で、自費で来る子は劣等感の塊になりざるをえない。この雰囲気の中で、飄々とやっていけるには、そうとうしっかりした自分をもってないと、きっと無理だろうなぁと思います。そして、どんどん年齢層が下がってきている大学院に来る子達は、劣等感に負けることが多々です。 今年も、ひとり自費でやってきてる子が、おらが院を去るらしい。 そりゃ、つらいさね。 どこを向いてもレッテル貼られてるように感じるだろうな。 


そうやって、内側から差異化していくことで、院生のちっぽけなプライドなんかが製造されるのよね。みみっちいぃプライドなんだけどさ。 あ、あたしも例外なんかじゃないし。この院にいた間、たくさんの人たちがやめて行ったし、わたしだってそのみみっちぃプライドなんてのを後生大事にしてたときももちろんあったからね。(かっこわるぅ〜)


大学院はとても特殊な空間。これを機会に、何回かに分けて、大学院のねじれた日常を書いてみようかなぁ、なんて思っとります。