社会の窓

大学院で知り合って仲のよかったお友達が先週ドイツから帰ってきたよ。修士を終えたあと、彼女はフルブライト奨学金でドイツのハンブルグで英語の先生をしたあと、ワールドカップ真っ最中の興奮したドイツを後にしてきました。 ドイツでは、カフェというカフェにテレビがおいてあって、その店中、店先とたくさんの人がギュウギュウとあつまってサッカー観戦をしていたとのこと。 なんだか力道山のプロレスを店頭テレビで観ていた日本のような描写で、ちょっと笑えた。


彼女はシカゴ郊外の出身なので、7月1日に実家へ帰った後、昨日ミネアポリスへやってきました。(シカゴからは車で8時間くらいかな。アメリカ人にしてみれば、ヨユウで「車距離」らしい・・・)


一緒にキャンパスのそばにある彼女の好きなパブでお昼ごはんたべて、Lake Calhoonという近所の湖へ散歩。 湖の周りは散歩する人たちのための歩道と、ローラーブレードや自転車に乗るひとたちのための歩道とがぐるっと舗装してあって、そこをてくてくてくてく。 湖をぐるりと1周すると8キロぐらい距離があるので、へたれな私たちは適当な木陰のベンチをみつけて、そこでしばらくおしゃべり。 


彼女と話していて気が付いたけど、海外から帰ってくる人を「迎える」側に立つのは、私にとって、初めて。(いつもは「迎えられる」側だからね) 10ヶ月の留学は短いから、劇的にそのひとが変わることは予測してなかったけど(そんな人もたくさんいるんだろうけどね)、なんとなく彼女が再び自分の属する空間に帰ってきて、その距離感を手探りしながら図ってるのが伝わってきた。 「変わったと思いたい」自分と「変わってないと思いたい自分」みたいなのが交錯していてて、それをどうバランスとっていくか、決めかねてるってかんじだった。 ・・・私の場合は5年くらいたってからの帰国だったんだけれど、わたしもそんな風に、家族や友達の目には映ったのかな?  迎える側にたって、ちょっと新鮮な視点から、日本での一時帰国を考えてしまった。 


夕方は他のお友達と合流してパブで「おかえり会」。以前彼女とよく行ったパブで、さつまいものフライド・ポテトがうまいのだ。 今日は(も?)ギネスを飲む♪ 彼女がドイツに行く以前に毎週Movie Nightと称して集まった面々がそろって、なんだか過去を再経験してるようで、うれしいけれど、なんだか、うれしいだけじゃない、そんな感覚。 日本の私のお友達も、そんな気持ちだったのかな?この経験はもうちょっと考えてからことば化しよう。うん。宿題だな。