社会の窓

只今、某大学の教授の論文を翻訳中。ドラフトをいただく期日から大幅におくれて原稿をいただいたので(しかもページ数がごっつぅ増えてるし!)、先週の日曜日にからものすごい勢いで副業にはげんでおります。そのせいで(っつーか自分のせいなんだけど)予定外に博論が滞ることになって、ちょっと冷や汗もかいてます。(←あほ)


がーーーーーーーっと翻訳しはじめて、はや4日。初日8時間、2日目7時間、3日目5時間、4日目1時間 (←激減)。やってもやっても終わんないYO. 肩こり絶好調。 肩こりで気持ちが悪くなるのは、久しぶりです。あと5,6時間で終わるはずだけれど、「論文の構成も直してください」って・・・・・・それだけで あと丸3日はかかるわい! っつーか、それは約束外じゃ。


日本語の論文を訳していて思うのは、論文の構成が全く違うこと。英語に対して日本語という比較ではなく、これはきっと日本とアメリカの違いですね。同じ英語でも、イギリスとアメリカではまた文のスタイルも違うのですよ。 わたしもこちらに来て、論文の書き方では相当指導されたし、自分でもしんどい思いをしました。(っつーか、まだまだ現在進行形です)。 こんかい翻訳をおねがいされた教授先生はアメリカで大学院を出られているそうですが、英語で論文を書くのは今でもしんどいのだそう。その気持ちは、よく分かります。 日本にもどって、日本語の学術用語やスタイルを学びなおした後、また「むかしのあたし」に戻って英語でアメリカ式の論文をかくのは、やっぱりめんどくだいだろうなぁ。 


以前から気になっていて、今回翻訳をしながらもっと考えるようになったのは、わたしの学術的日本語の弱さです。わたしは学部と院での専攻が全くちがうので、研究に関する言葉を英語で学びました。なので、日本語で自分の研究のはなしを満足にできないのです。 もちろん研究書は日本語でよめるけれど、日本語で自分の論文を発表なんて、今の時点では全くムリなはなしです。就職という形で日本はいまのところ私の射程にはないけれど、意見交換の場として日本は私にとって大事なので、これから少しずつ、こういう日本語トレーニングをしていかなきゃなぁ、なんて考えています。


なんてブログ書いている間に残りの翻訳終わらせられたらいいんですけどね・・・・ 報酬もらったらマッサージに行くのだ! そうだ! 次回から翻訳料にマッサージ費用を組み込めばいいんだ!(喜)