社会の窓

去年の6月にアップして以来ご無沙汰の「ねじれた空間大学院」かってにシリーズ、第3弾。前回は大学院のねじれた空間性を鬱という症状を通してついて書きましたが、おクスリつながりで、今回はドラッグなお話。


ドラッグといっても、マリファナやコカインなどの違法なものではありません。いわゆる、処方箋薬の乱用です。鬱にかかって抗鬱剤をもらう大学院生はたくさんいますが、それと同じようにADD (Attention Deficit Disorder、注意欠陥障害)と診断される院生も中にはいます。一般的にはリタリン(Ritalin)というお薬が処方されます。 



大学院生の間では、このリタリンを精神的なビタミン剤のような感覚で飲む人が急激にふえてきています。 集中力を矯正するためのお薬なので、ADDの症状のない人が服用するとアドレナリン大開放・出血大サービス!てなことになります。


ふつうの集中力を持った人が飲めば、もっと集中力が俄然上がって、論文も読書もおちゃのこさいさい ・・・・ ばりばりすごい論文を短い時間で書いて、いままで読んだフリだけしていた理論書もちゃんと読んで、ついでにまだみんなが読んでない新刊書も読んで良い印象を教授に与えて・・・・ なんて夢見る大学院生たちにはうってつけご都合主義的に使われ始めています。


このお薬はあくまで処方箋薬なので、ADDと診断された人が服用するにはまったく問題ないのですけれど、このお薬を他の人にあげたり、売ったり、買ったりすることは 当然のことながら違法です。  


お薬を手に入れる方法はさまざまです。 大学院生は、お薬を持っている親、友達、親戚等々からリタリンを手に入れるか、自ら病院にいって「どうも集中力があまりにもなくって、ADDじゃないかと思うんですけれど・・・」と言い、リタリンを処方してもらったりします。


話を聞く限りだと、集中力がほんとうに上がるそうです。さばける仕事量が画期的にちがう!という人もいるし、気休めに飲んでる人もいます。学期中に論文を書くときは必ず飲む、という人にも会いました。 私も一度だけ友達からもらって飲んだことあります。アドレナリン・ラッシュのせいでしょうね、落ち着きがなくなるだけで、なにも手につかずに終わりました。 ただ無意味に「わーわーわー」と饒舌に慌てるだけで数時間が過ぎたような気がします。


よく考えなくても、リタリンを服用する必要があるほど、大学院は価値のある場所ではないのですよね。 大学院では、学術のトップも見えるし、底辺も見える。劣等感・優越感・政治等々がからみあって、「自分はこうじゃなきゃいけない」と思い込むことは多々あります。一定の緊迫感は学術をプロフェッショナルに捕らえるためには必要であるとも思います。ただ、院に長いこといると、院を位置付ける社会的・個人的価値観が反転してしまって、逆に院が社会的・個人的価値を決めるようなきがするのです。そうなったとき、自分の価値を「集中力」や「生産性」を通して上げるために、院生はリタリンなんて飲んじゃったりするんでしょうね。


劣等感・優越感、院という制度的問題に教授たちの政治争い、学術界のしがらみに増える一方のローンと「あとで読む」蔵書。鬱は院生たちの反応であれば、リタリンの服用はもうひとつの反応です。


こういうことを書くと大学院はオソロシイところのようにみえちゃうかもしれないけれど、こんなふうにねじれた日常は、「アメリカだから」といって例外扱いする必要ないと思うのです。リタレンの乱用は、手に入りやすいアメリカなりの反応の仕方かもしれません。 日本やその他の場所では、ちがった反応の形があるでしょう。 ただ、誤解を恐れずに言うと、大学院はとても不健康な環境になりやすい場だと思うのです。だからといって、もちろん、処方箋薬の使用は正当化されません。 ただ、これからもっと健康的な学術の場をつくっていくためには、「うちの教授陣がどんなにひどいか」という話すをするだけではなく、もっと制度的に体系的に話をしていかなければいけないんじゃないかな、と思うのです。その責任は、学術外にいるひとたちにとっても関係の無い話じゃないです。   



次回は、大学院生たちの組合のはなしについて。また忘れたころにアップします(笑)