社会の窓

硫黄島からの手紙』を観てきたよ! 


前から「なんとなく」観たいかな、ぐらいに思っていたのですが、さすがに一人で見るのはいやだったので、在外研究で去年1年間日本に住んでいたキャンベル先生を誘って、息抜きに映画を見に行くことに。


残忍と人道、正義と極悪、などのように一見相反するものがいたる場所で、すごい至近距離で隣接していて、その隣接関係がめまぐるしい速さで反転していくのですが、それが直接体に刺さってくるような映画でした。 


英雄的な姿で正しいことをする兵隊がその瞬間にめまいを起こさせるような極悪非道をおこなう。 ドラえもんのどこでもドアみたいに、何度もドアをくぐっていったりきたりしていると、どっちの世界がどっちなのか、残忍なことと慈悲の区別がつかなくなる、決定不能になるように。 


決定不可能だからと言って、『アメリカの気持ち、日本の気持ち、同じ気持ち』*1と、「最終的にはみんな人間だから」というふうに、「ニンゲン」というカテゴリで普遍的にくくるのはたやすいし、体裁的に「正しい」ことなのだろうけれど、決定不可能な状態は、必ずしも絶対的な共通項、もしくは最大公約数の存在とは、同じじゃないと思うのです。