社会の窓

今日はヨガの日。ローラ嬢とケンカして帰ってきました。 


いつもどおりヨガの後に晩御飯を食べながらおしゃべりしているときに、ダーリンの叔父さん、ディーターの話をしたのです。 


「最近ね、転移してるガン細胞を発見してね、いまその根源を調べてるんだけどね・・・」


「叔父さん、いくつなの?」


「彼の家族はうちのよりもずっと年上だから、ディーターは70か75歳ぐらいじゃないかな」


「75とかだったら、もう人生まとめる時期でいいんじゃない」


「は? どういう意味よ」


「・・・・あたしだったら、75歳とかだったら、治療なんかしないってことよ。」








・・・・・・・・・そんな言い方、ないよ。




いろんな意味で、彼女の言葉、間違ってる。 死ぬことは、年齢と関係ない。どんなにかっこいい理想論語っても、人は生に対してものすごくいじきたなく貪欲で、死を目の前にしたらどんなことしたって生きたいと思うものだと私は考えてます。 そんなことに、年齢なんて関係ない。 


そして、人の体は自分ひとりのものじゃない。 それは両親からもらったもので、いろんな人に育ててもらって、支えられてるから生き続けているのに、勝手にその体の生死を自分の手中に収めるなんて、虫が良すぎる。 


義理にあたる叔父さんだけれども、彼とわたしは言葉だって通じないけれど、ディーターとわたしは生き物としてつながっているのに、そんな言い方、ひどいよ。 


傷ついた。どのへんが、どう傷ついているのか自分の中でもはっきり分からないのだけれど(きっと不安を現実にするようなこと言われたからかな)、車の中でぼろぼろ泣きながら帰ってきた。(これ書きながらも涙でてくる〜)



家族から遠く離れて住んでいることの意味を、近くにいても何もできないけれど、すぐ駆けつけられない距離にいることのつらさを、ただいま勉強中です。