社会の窓

水曜日の朝7時25分発の飛行機に乗って、アトランタからノース・カロライナ州、シャーロットに。 シャーロットからフランクフルト、フランクフルトからベルリンと乗り継いで、木曜日の朝10時にベルリン・テーゲル空港に到着。 ダーリンにとっては5年ぶり、わたしにとっては7年ぶりのベルリンです。 秋のベルリンらしい、乾いた風とどんより曇った空です。 


空港にはダーリンのパパとママが迎えにきてくれてました。久しぶりの再会で涙が出そうなのを、なぜかぐっとこらえてみたり。タクシーにのって、ディーターの数年来のライフ・パートナー、ベアベルさんのフラットに向かいます。


ダーリンの叔父さん、ディーターは奥さんをアルツハイマーで数年前に亡くしています。入院している奥さんの看病を長年していたのですが、6年前にベアベルさんと出会ったそう。 ベアベルさんも、未亡人。 アルツハイマーの奥さんが亡くなってからはじめて、ディーターとベアベルさんは一緒に住み始めたそうです。 私はお会いするのは今日が初めて。 


ディターがベアベルさんとお付き合い始めたころ、ダーリンの向かってこういったそうです。『よー、マーカス(うちのダーリンの名前です)、オレ、恋に落ちたと思う』なんて行っていたのを思い出します。 何歳になっても、恋する人ってのはかわいいですね。


アベルさんちで、みんなで朝ごはん。いろんな種類のパンと、プロシュート(薄い生ハムみたいなの。ドイツ語ではシンケン)、サラミ、チーズ、そしてコーヒー(わたしは紅茶)。 朝ごはん食べながらも、うれしい気持ちと悲しい気持ちがまじった、ビター・スイートな食卓です。 ここでもみんな、けっこう涙がちょもれるのをこらえてました。



アベルさんと一緒に住んでいるけれど、ディターは自分のフラットを解約せずに維持していました。ヨーロッパのフラット(アパート)ならではでどの家も狭いので、私たちはダーリンの実家ではなくディーターのアパートに滞在することに。 7年ぶりにくるディーターのアパートはすっごい雰囲気が変わってました。家具もキッチンも新しい。 ベアベルさん曰く、彼女のほうが先に天国に行っちゃうと思ったから、彼女がいなくなった後でもディターがちゃんと暮らしていけるように、と数年前にアパートのリフォームしたそうです。 うぅっっ また涙がちょもれそうだ。



夕方5時に、ママとベアベルさんと一緒に病院へ。ディーターに会う。
思っていたよりも、ずっと元気そう。意識もはっきりしているし、鋭い質問するし、なによりも、笑う気力がある。


『12月に帰ってくる予定だったのに、なんで早く帰ってきたん?』 ・・・『具合がよくないって聞いて、びっくりして来たさ』 


『ビリビ、ドイツ語わかる?ちっとはわかるようになったね?』・・・・『さっぱりよん♪ ディーターのほうこそ、英語勉強するってのは、どうしたん?』・・・『オレはマーカスに会いにテキサスに行ったとき、あっという間にガソリンスタンドで英語覚えたぞ。ぐはは(笑)』


『コロンビアはどうね?新しい大学はどう?』 ・・・ 『ディーター、コロンバスっていったやん! コロンビアは違う国!!』 



話したり笑ったりするのはしんどいようで、ところどころ、ゼーハー、ゼーハー、と呼吸を整えたり、目を閉じて休憩したりしながら、15分から20分くらい話をすることができました。ベアベルさんから後できいたのですが、今日のディーターの具合はいつも以上にいいそうです。 でっかい手で私の手を握りながら、『ビリビ、Enjoy Berlin!』といってくれました。



ロビーにでて、ベアベルさんとダーリンのママとカプチーノをすすりながら、しばらくおしゃべり。ディーターとの再会は、ダーリンにとってはやっぱりとてもつらいのね。 めっちゃ涙目です。 不思議なことに、わたしは無感覚というか、ディーターにあっている間も、あった後も、心がザワザワしないのです。最悪の状態を頭に入れてきたので、思った以上にしっかりしている姿見て安心したのもあるし、不思議に、『死』が身近に感じられなかったのです。どちらかというと、ディーターが普通に生きていることのほうが印象的で、気持ちのバランスがとれたというか。



ディーターにと向かいあって話しているときに感じたつらい気持ちはどこからくるんだろう。


ひょっとして、周りにいる人たちのほうが、闘病中のディーターより一足早く、彼の命をギブ・アップしているのかな、なんて思ったのです。 ディーターと彼の死の至近距離じゃなくって、彼が普通の会話をして、笑って、未来の話をして、生きているということなんじゃないかな。「死に行くもの」として向かう私たちの姿勢と、「生きている人」としてディーターが私たちに向かう姿勢に、ギャップがあるようなきがする。 私たちが、ディーターの生に先走りしてるようだ。 


彼の生と死の先回りした位置にいるから、勝手にそうしてるから、つらいんだな。 先に結論出しているというか、結論付ける行動に向かっているというか。 うまくいえないけれど、ディーターに会って話しているうちに、勝手に先回りしている自分に気がついて、彼が息して生きている場所、未来に向かっている視線に、正しい立ち居地に連れて行ってもらったみたいな感覚なのです。だからかな、彼の病室から出てきた後、つらいけど、そんなにつらくない、不思議な安定感があるのです。