社会の窓

先日、同じ学部の同僚の先生(『忍者タートル』に似ている・笑)に誘われて、教会に行ってきました。


アメリカ南部は宗教色が強いのですが、そのなかでもジョージア州アラバマ州、などは『バイブル・ベルト』とよばれる 特に宗教に気合の入った地域です。 

バイブル・ベルトについては、↓こちらから、どぞ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88


私の通う大学は州立大ですが、信仰心の強い先生たちもたくさんいます。 ちなみに、南部では(南部だけかな?)日曜日の礼拝とは別に水曜日にも教会でカジュアルな集まりがあるようで、私の学部でも、信仰心の強弱はあれど、ほとんどの先生たちが教会に足を運んでいます。 


アメリカ人・日本人を問わず、宗教は人によって反応は色々あるとおもいますが、私はあまりアレルギー反応がないほうです。どちらかというと興味あり。 熱狂的な人から知的な人たちまで、話をきいているといろんな世界観が垣間見れるので、聞いていて面白いと思うのですが、みなさんはどうでしょう?  


忍者タートル先生は、キリスト教の中のメソディストMethodistという宗派の熱心な信徒(ちなみに、Methodistはアメリカ発祥の宗派です)。 彼女の通う教会では、水曜日に晩ご飯を一緒に食べながらお友達や家族と集まってコミュニティーの話をするそうです(ホームレスのためのボランティアとか、どこのだれそれさんが病気だから祈ってあげてね、とか)。 私たちがお邪魔した日はフライド・チキンと豆料理でした(んまかった!)。


教会に通いながら互いに猜疑心を持ち合い続けること、万人に心を開き慈悲をと語りながらも「元犯罪者はうちの教会にはきてほしくないわ」と思う心、そして、うちの教会っていまどうよ?等々を考え直す機会として、マーシー・ストリートというニューヨークにある教会のドキュメンタリーが紹介されました(たぶんMercy Streetで検索するとYouTubeで見れると思います)。 マーシー・ストリート教会は、ニューヨークの中でもタフな地域にある教会のようです。 ドラッグ中毒の人からプロのスリ師、離婚を5回した人たち、等々、ふだん人があんまり認めたくないとおもうバックグランドを持っている人たちを中心にしながら、文字通り教会のドアを万人に開く実践を紹介しているドキュメンタリーでした。


「わたしたちの教会は、ほんとうに万人にドアを開いているでしょうか? そして、ひらくべきでしょうか? そうするためには、どうするべきでしょうか?」と、ドキュメンタリーをみたあとに牧師さんのリードでディスカッションがありました。



・・・・・・わくわくわくわく(喜) どんな展開になるんだろ。 裕福な郊外にある教会のメンバーは、どんな反応するんだろ。


小太りのねーちゃん『いまからダウンタウンに教会を移すのは大変だし、そうしたら、今通ってるみんなが通えなくなると思うわ』


でっぷり太ったおばちゃん『今ホームレスの人たちのためにボランティアしてるけれど、もっと何かやるべきかしら』



白髪のおっちゃん『ホームレスの人たちも助けは必要だけれど、お金持ちの人たちも、助けは必要です。僕らは、ここで、このままでいいと思う』



ぶっ(笑) 本音でた。 そうよね。 ただでさえ保守的なコミュニティーなのに、いきなり元犯罪者と一緒に教会のベンチに座れって言われても、ムリよねぇ。


こういう社会のマージンにいる人たちについて「考えなければいけないんだ」という義務感は、今のアメリカらしいなぁ。 


ジーザスは万人の人にその教えを開き、万人に手を差し伸べ・・・・ 私たちもジーザスのように、万人を愛することができなければいけません。神よ・・・』と続く牧師さんの話をきいて、オー・マイ・ガッ!!! 目からうろこが落ちたよ!!!!!!




ジーザスはアメリカ人にとって、ロールモデル(人生のお手本)なのね!!!!! 



信仰を通して善人になるということは、(アメリカの)キリスト教徒にとっては、ジーザスみたいになることなのかぁ。 みんなジーザスになりたいんだ・・・・・・  そういえば、What Would Jesus Do?『ジーザスだったら、どうする?』ってモラル・スローガンがあるくらいだからねぇ。



アメリカ文化のなかでのキリスト教の位置をこんなふうに考えたことなかったわ。 教会はジーザス再生産のための装置だったのねぇ。 あっちにもジーザス、こっちにもジーザス、ジーザスわらわら・・・ (笑)  ありがたみがちと薄れる気がしないでもないが(笑)


アメリカ文化の新しい様相を発見したBiribiとダーリン、大コーフン(笑) 教会を通してみるアメリカ文化を追うためにも、これからも教会へのお誘いはできるだけ受けることにしたのです。