社会の窓

同僚の結婚式に行ってきました。

ブラック・チャーチでの結婚式におじゃまするのは初めてなので興味津々。 まず同僚らしく、式が40分遅れでスタート(笑) 彼女、時間に正確じゃないからなぁ。 


日本では式と披露宴におよばれする人って違うけれど、アメリカでの結婚式では同じようです。結婚式への招待状がきたら、式にも披露宴にも招待されるようです。 どちらにもだいたい250人ぐらいの人たちが来てました。


まず、教会での結婚式。
式が始まる前、式の途中、式の後と、親族のお友達が歌をソウルフルに熱唱。コーラスじゃなくって、黒人のおっちゃんやおおねーさんがソウルな声張り上げて歌う(たぶん)賛美歌は、かっこよかったです。


びっくりしたのは、式の途中で新郎が歌いだしたこと。
『君の事を祈ってた』ってタイトルの曲を、すごいバリトンの声きかせて歌っている途中に新婦さんがバージンロードを彼の元へと歩きながら登場(きゃ〜 おしりがムズムズする演出だわー)。


お式をしたのは女性の牧師さんだったのですが、またまた意外だったのは、お式の間中、何らかの音楽か歌がずーっとかかっていたこと。 やっぱりこのあたりは祈りと式と歌というのがものすごく密につながっているゴスペルとかの影響なんでしょうかね。 アメリカ黒人の文化の特徴としてコール&レスポンスという(これまたゴスペルの)習慣があるのですが、牧師さんがなにか大事なことを言うたびに「アーメーン」とか「イェア」とか賛同の声が小声で参列者たちの人たちから聞こえてきます。 私が行ったことのあるアメリカ白人の結婚式はずっとちがって、なんだろ、うまいぐあいにざわざわしてて、すごく雰囲気がちがうのです。 


ちなみにコール&レスポンスは、神の問いかけ(コール)に応答(レスポンス)する、神様も人の問いに応答するということですが、宗教を超えてアメリカ黒人の音楽文化にたくさん取り込まれています。 講義とかを聴いているときにわたしとかが声にせずにいることを、そのまま Uh huh とか声に出しちゃうところとか、そうなのかもしれません。


閑話休題


それとなくざわざわしていてソウルな歌声もあがってステキな式だったんだけれど、牧師さんの二人への祈りの言葉(?)についてちょっと考えさせられちゃった。 『(ふたりの)違いはのりこえるためにある! 違いは尊重しあわねればならない! 違いがあってはじめて二人という存在がある!違いは認め合わねばならない!・・・・』


云わんとしていることは分かるのですが、主題の『違い』はこの場所ではもちろん人種のちがいをも意味するわけで(ちなみに新郎も新婦も黒人です)、なんだか二人へのお祝い・祈りの言葉は政治性を帯びていて、きっとそれはブラックチャーチならではというか、ここではその政治性というのは避けられないことなのだろうなぁ。 その政治性が結婚式に進入してくるのを「いやだ」と思うということは、どこかでそんな政治性を囲いたいという欲望が自分の中にはたらいていて、それはそれで問題のある欲望なのではないか・・・・



なんて考えも、披露宴ででたステーキ見たらふっとびましたけどね。


思いつくまま書いてたらながくなっちゃった。 披露宴については、またあとで。 
(amaiaさーん、Biribiのドレスも、次回にしまーす)