社会の窓

昨日の夕方、最終成績を大学に提出。 ちらかったオフィスもとりあえず(ちょっとだけ)片付けて、今日で正式に秋学期終了。 おつかれ、オレ! (怒りや涙のメールが来るのは、今日、明日あたりか?)


今日のお昼1時が、成績提出の締め切りだったのですが、それまで大学から『締め切りは22日の1時だからね!』ってメールが、スパムメールかっちゅうぐらい毎日毎日、1日何通も送られてきました。Biribiはマジメなじゃぱん人。 成績を出し遅れるなんてありえない! と思うのですが、それがけっこうあるらしい。 そういえば、同じ学部の先生も、『採点がまにあわなかったのよ〜』なんて去年言ってたな。


なぜ学校側が血眼になって『締め切り守れよ!』といっているかというと、生徒に及ぶ影響がものすごく大きいのです。


まず、卒業する生徒たち。 先生が今学期の成績を締め切りまでにちゃんと提出しないと、正式な卒業年月日が、なんと来学期の最後になるらしい。 本当は2008年12月卒が、2009年5月卒に。 これは、仕事探ししたりするのにも影響があるので、大変なこと。


そして、在学生にでる影響は、ファイナンシャル・エイドとよばれり州または連邦政府からでる教育ローン。 アメリカの学生の多くは、このローンを利用して大学にきています。 いろいろ種類や制限・条件などがあるようですが、このローンの審査は学期ごとにあるようで、前学期の成績がわるかったらでないものもたくさんあるよう。 


成績が大学に報告されないと、その生徒の成績は自動でF(不可)になるので、その結果来学期の授業料のためのローンが降りないことになって、学校にこれなくなる人とかがでてきます。  去年、『まにあわなかったのよ〜』と軽くのたまってた先生のクラスにいて、次の学期まで『不可』が書き換えてもらえなかった生徒さんの一人が、『おかげでクレジットカードで(利子がたかいからね)授業料を払う羽目になった』となみだ目になってたのを覚えています。


きっとこの先生は、成績提出の先にある、わたしたちの行動が思わぬ影響を及ぼしてしまう世界のことを知らないのだと思います。 たしかに、先生からしてみれば授業料の支払いなどは大学の別のオフィスがハンドルする仕事ですから、教室からは見えない世界だから、しょうがないといえば、しょうがないのかもしれません。


Biribiは、前の学校では学期末にそういう旨を伝えるメッセージにそえて『締め切り守れよ』というお達しがきてたので、締め切りを守ることは当然のように受けていたのですが、大学に来る先生たちはいろんなところから来るし、今まで教職経験がない新しい先生だってたくさんいます。 だから、新職員のオリエンテーションで、そういうことをきちんと伝えなきゃいけないんじゃないかな。それは必然的に構造的に弱い立場に位置づけられる生徒さんたちを守るために必要なことだと思うのです。 


構造的に、先生たちにはたくさんの力、権力が与えられています。それは、実はクラスを超えたところでも、知らないうちに機能してしまうということに常に気をつけなくてはいけないのじゃないかな。 権力を否定するのではなく、その権力が自分という媒体をとおしてどういった作用をもたらしてしまうかということに気をかけていくことで、倫理というのは考えられなければいけないんじゃないかと思うのです。それは、『正しい内容』を語ったり、正義にみちた姿勢をとることとは、まったく違うとおもうのです。