社会の窓

お休みの今日も、お友達から借りたビデオを見ることに。

ダウト〜あるカトリック校で〜
http://www.movies.co.jp/doubt/


歴史背景とストーリーは、こちらから↓ Raphieさんというかたが、簡潔にうまく書かれています

Rosslyn Papers
http://rosslynva.exblog.jp/tb/10816137


牧師さんの語るゴシップについての話とイメージも印象的だったけれど、最後にメリル・ストリープ演じるシスター・アロイシスの最後のシーンが印象的でした(演技はちょっと舞台っぽすぎたのだけれど)。


正しいこと・信じる美徳を追求するためには、『神様から一歩遠ざかることも必要』として、彼女は嘘を正当な手段として使うわけですが。 その『一歩』は、どんな目的のためであれ、その行為者を侵食せずに終わないのかも。 シスター・アロイシスが自分の持つ疑いの痛さを吐露する最後のシーンでそんな考えが頭によぎったので、とても印象に残っています。 



何かを追求するということは直線的なものではなく、常にPerformativeにSelf-underminingで、いつも新しいOpeningを作って、対象から遠ざかってしまう。 最後のシーンはそんな運動性を示唆して、そこを出発点に観客が議論することを促してるのかなぁ、なんて思ったり。