社会の窓

政治、経済、社会的生活の交錯する、統一後のベルリンの中心に新しいメモリアル(2005年完成)があります。 1988・89年に市民からメモリアルを建設しようとの声があがり、長い時間をかけて資金集めとデザインの公募などをへて立てられたものです。



正式な名前はThe Memorial to the Murdered Jews of Europe. 第二次大戦中に虐殺されたヨーロッパ系ユダヤ人のためのものです(道路を挟んだ向かいにあるティアガ−テンには、虐殺された同性愛者たちのためのメモリアルがあります。 同性愛者の犠牲者たちたちと同じく、記憶の片隅に終われることの多いジプシー(シンティとローマ)のためのメモリアルも、建設に向かっているそうです) 


長方形の大きなコンクリートが整然と並ぶメモリアルは、写真で見るのではなく、コンクリート間の隙間を歩かなければ意味を持たないような気がします。 遠くから見れば同一に見えるブロックですが、ひとつひとつ斜めに傾いていたり、地面からの高さが違ったり、どれひとつとしてまったく同じものはありません。 ブロックのたっている地面は平らではなく、くねくねと傾斜のある波。 自分の立っている地面が波のように揺れているようです。 


隙間を歩いていて一番印象的だったのが、ブロックとブロックの間では、人が突然現れたり消えたりして見えること。 当時のユダヤ人たちの経験はこんなかんじだったのでしょうか。  すぐ隣にいたと思っていた人が、いつの間にかいなくなったり。 向こうにいる人に向かって歩いていると、ブロックの高さがどんどん高くなって、横を見いる間に向こうにいるひとはいなくなってたり。 道は整然と並んでいるのに、どれも同じに見える灰色の壁にかこまれてると、なにを基準に方向感覚を導けばいいのかわからなります。


メモリアルの地下は、展示館になっていて4つの部屋に分かれています。 ユダヤ美術館とは違い、ここに展示されているのは言葉だけ。 スーツケースや、ハンカチ、手紙の束など、物質的なものは何もなく、ホロコーストを私たちの記憶へとするメインのメディアは、言葉。 


この展示館は、良くも悪くも美しく設計されてあると思うのです。 地上にあるメモリアルをつなぐ地面・天井のディテールとか、犠牲者の手紙から拾い集めた言葉の展示の仕方とか。 とても知性をくすぐるのです。  そして、この知的に興奮させるところが、ちょっと疑問にも思うのです。 


美しすぎる、秀逸すぎる美術館ということはあるのだろうか。 



多くのメモリアルは身体に直接訴える形(パフォーマティブ)を通して過去を個人へと繋げ、その個人への繋がりをコレクテティブ(集団的)へと収束するものとして美術館の教育・啓蒙的側面があると思うのです。 Never againのスローガンの下に、ホロコーストなどのメモリアルへ足を運ぶことが奨励され、遠足や個人的な観賞もNever againが当然の、あるいは終着するべき意味として現れる。 


なのに、ホロコースト以降Genocideは繰り返され、現在も起こっている。 スーダンダルフールでは、ダーフォーリーたちが毎日殺されている。 メモリアルへ行き、Never againを体で感じ、メモリアルを出てくる私たちの視野にダルフールでのGenocideは写らないのは、なぜ?  


説得のメディアとしての教育や啓蒙は、過剰な期待を与えられすぎてるのかもしれない。 



メモリアルと現在をつなぐものは、どこ?