社会の窓

うちの大学の生徒たちが、アムネスティーの松の町大学チャプターを開いたのが、やく1年半前。 なんとか軌道にのっかてきているような、不安定なような。 


学生のグループならではのいろんな問題を抱えながらも、とりあえず地味に活動中。 
今学期は、ルワンダの和解についてのドキュメンタリーをキャンパスと公立図書館で上映することに。 


ジェノサイドの報道は沢山されるけれど、その後の和解への努力を追うものは少ないです。


ルワンダでは、過去8年間ガチャチャ(Gacaca)と呼ばれる共同体ベースの裁判形態を通して国民の間での和解を進めています。 800,000人以上のツチ人が殺戮され、何千、何百というトラウマをおった生存者をのこし、100,000人を越える人たちが刑務所に入ることになました。

ルワンダについては、こちらから↓
アムネスティー・インターナショナル日本
http://www.amnesty.or.jp/modules/wfsection/article.php?articleid=149

 
1994年のほんの数ヶ月の間に行われた大量虐殺の後、内戦の終結した後も、生き残った人と、殺戮を行った人たちは、一緒に住んでいかなければなりません。 殺した人と、家族、友人、子供を殺された人たちは、再び隣人になること、共同体をシェアすること、同じ国の人間であるということを、新たに生きていかなければならないのです。

ガチャチャ裁判について↓
http://www.amnesty.or.jp/modules/wfsection/article.php?articleid=146


ガチャチャ裁判は賛否両論ありますが、今学期のアムネスティー・松の町大学チャプターの活動は、ルワンダの和解(Reconciliation)の過程の一部としてのガチャチャ裁判を追いかけたアン・アギオン(Anne Aghion)のドキュメンタリーを紹介すること。 


4部作のドキュメンタリーは2本目のIn Rwanda We Say... The family that does not speak diesが2005年にエミー賞を受賞、4本目のMy Neighbor My Killerは今年のカンヌ映画祭でも上映されました。

アン・アギオンさんのサイトはこちら↓
http://www.anneaghionfilms.com/


彼女のドキュメンタリーを紹介する日本語の記事は、こちら↓
http://www.afpbb.com/article/entertainment/movie/2602614/4151019


今日は、松の町の公立図書館でこのドキュメンタリーの1部と2部を上映してきました。(オープニングのスピーチはBiribiがしたのよ)


普通のドキュメンタリーのように、物語性のないドキュメンタリー。 いろんな人の言葉、表情、風景を淡々と拾い集めた中に、どろっとにじみ出る人間の話。 どう解釈すればいいのかわからない、なんともいえない感情を沸き起こさせる力がこもってます。決まり文句で簡単に解釈や判断のできない気まずさや居心地の悪さが、簡単に口をついて出てくるような言葉を殺します。 



そして、決まり文句のような言葉を殺してしまうようなものは、大切だとBiribiは信じています。



眉間にしわを寄せて考えること、体を停止して迷うこと、思考を停止させるような一般的な『いますぐ行動を!』という人道的呼びかけは、危険だと思っています。 



どう考えていいかわからない、どんな行動も簡単な解決策として現れない、そういうことに向かうことは必要だと思うのです。 


このドキュメンタリーを通して、殺戮したひとと犠牲者がご飯を一緒に食べたり、笑ったり、嘘の糾弾がなされたりする、グロテスクな生を目の当たりにすることは、とても大切だと思うのです。 人道主義は、生を漂白しすぎだ。 



3作目と4作目は、学校で上映予定。 
今度は生徒にスピーチやってもらうわよ。