社会の窓

さて、ごまをすりすり、新しい大学長の提灯持ちへと華麗なる変化を遂げたマンドリル学部長。 夏休みで先生たちがいないことをいいことに、なんだか勝手に学部の方針をどんどん自分の都合のいいようにと変えていってます。


哲学部はもちろん哲学の先生ばかりですが、それでも先生それぞれの専門によって、学部として全体的にアナリティカルという分析哲学系(ロジックとかはここに入ります)なのか、コンチネンタル系の哲学なのか、と分かれます。  


Biribiの所属している学部も然りで、先生たちの専門を考えればどう考えたってマスコミ系の学部にはならない。 



なのに、ゆで卵みたいな頭をした大学長がマスコミ系のクラスを公開して生徒をよびたいらしく、マンドリル学部長、爆走中。 勝手に一人で話を進めていって、職員会議では『もうここまできたら承認するしかないでしょ?』みたいな態度。



その過程で、Biribiがとばっちりをうけることに!




Biribiは赴任して以来、必修のクラスを教えています。アメリカでは大学に入ってから学部を決めるので、新しく打ちの学部を選考したいと決めた2年生が必ずとらなきゃいけないクラス。  3年生に上がる前に基礎をしっかり叩き込んでほしいという先生たちの思惑がみちみちに詰まったクラスでもあり、授業内容とかけっこう大変なのであります。 



役に立てるのならばと、先生たちにどんな知識・技術(作文力とか、選考文献のリサーチのしかたとか)が必要かを聞いて、授業内容をゼロから作って、しかも実績だしてたのに!



新しくマスコミ系の学科を作る上で、このクラスが邪魔になったようで・・・・




なんと! このクラスをカリキュラムから排除!
しかも、Biribiが出ることができなかった職員会議で。 






『今のうちに学部長に貸しをつくっといて、あとで・・・』っていう先生と、ことの成り行きに唖然としているままの先生(カモノハシ先生)と、ことなかれ主義の先生とで、職員会議で投票・可決されたみたいです。




これもショックだったのだけれど、それ以上にショックだったのがその後の先生たちの態度。



次の職員会議で意見をだしたBiribi。



『クラスの必要性を会議で話すのは大切だし、先生方が必要でないというならばその意見に反対はしません。が、担当の職員が欠席の間にそのクラスをカリキュラムからはずすというのはどうでしょうか。 これは、職員会議のあり方に問題があると思うので、将来はカリキュラムに関しては担当者が在籍するということにしてはいかがでしょうか?』




ここで、うちの先生たちが理性を持っていると思っていたBiribiは、大打撃を受けることに。




某ビッチ女史『あんたのはなし、それで終わり?  誰もあんたのクラスを取り消すなんていってないわよ。 そんなこと決めてないわよ、先週の職員会議で』



Biribi 『でも投票して可決されたって聞いたんですけど』


ビッチ女史『投票なんてしてないわよ』


寝返りばばあ女史『Biribi先生、あなたの言ってること、よくわかんないわ』


マンドリル学部長 『俺の職員会議の進め方にケチをつけんのか! 俺は、だれにも、俺のやり方を拘束させるもんか!』





・・・・・・一斉、集中砲火。 





さすがに、これにはBiribiも参りました。
目の前でウソついて、不必要に揚げ足とって、堂々とわからないフリして、しかも逆切れする阿呆たち。 大きいものには巻かれろ主義・ことなかれ主義・ご都合主義が渦巻いていて、気分が悪くなりそうです。




自分がいままで基本的に前提としてきたもの、それが何だったのかがまだ言葉ではうまくあらわすことができないのだけれど、きっと最低限の理解度とか理性とか、そういったものへの信頼とか、そういうものだろうか、それがものすごく醜い形で壊滅していく瞬間でした。 



『聞く』ことを完全に拒絶すること。 



おめーら、ほんとにそれでコミュニケーションの学者かよ!!!!(怒)



Biribiがただ単にナイーブだからなのかもしれないし、社会人としての経験値が低すぎるだけかもしれないけれど、これで職場の同僚として働いていく上で、最低限で大切なところで、同じ学部の先生たちへの信頼を失ってしまったわけです。 



そんな失意のなか、秋学期がスタートです。