社会の窓

ファビの行くデイケアに、日本人のママが二人いらっしゃって、そのかたから遊びにこない?と声をかけてもらったので、ファビをつれて遊びに行ってきました。


もう一人の日本人のママさんも参加して、4人+子供5人。



結論からいうと、以前に参加した日本人会のランチでお会いしたときと同じように、疎外感というか距離感がどうものこるというか、おしゃべりしてて(っつーかBiribiはほとんど話せなかったからかもしれないけれど)満足感が低かったというか。 



なぜだろ?



きっといろいろ要素はあるのだけれど、たぶん以下の2点が私にとってのハードル。



1.会話の限界点がもうすでに見えてる
自分の話ばっかりするというか、自分に全部ひきつけてしか話をしない。
ダンナの愚痴とか芸能界のはなしとかは楽しいはずなんだけれど、なんだかこう、笑って憂さばらしするために話してるんじゃないような気がする。 説明しにくいんだけど、自分お話を始めるきっかけを探すためだけに人の話を聞いてる、みたいなかんじ。 要は、会話がふくらむ余地がみえなかった、ってことですね。 



2.私が大学の先生であること
これは松の町に来てからじわじわと感じてたことなんですが。


変な尊敬(のふり)をされて距離をとられるか(あ、変人だと思われてるのかもしれませんね)、最初っから『だからなによ、フンッ』って態度とられるか、の2パターンに分かれます。


同年代の主婦の方、とくに駐在妻の方たちに多いです。


以前仲良くしてた(と思ってた)日本人の方から、


『Biriさんてさ、これこれこうで、うらやましくってさ、劣等感にさいなまれて鬱になった』って言われたことあるし。 





(んなこと本人に向かって言う時点で



よね。)



中身をあけたらフツーにただのあんぽんたんなんですけどね〜
それを披露する機会を与えてもらえないのが残念だわ。



Biribi的には、要素2は何とかなると思うのだけれど、1はどうにもならないような気がするな〜



まだ数度しか会ったことがないので判断を下せるほど相手の方たちのことを知らないので偏見でしかないのだけれど、でも、時間は有限で、自分の注げるエネルギーも有限。  自分のタマシイにとって慈愛のこもった時間とエネルギーの使い方したいよね。 


スタバで本読んでればよかったって思う気持ちと、もう少し時間を一緒にすごせば楽しくなってくるかな?って希望的観測と、ファビにとっては日本人のお友達がいるのはいいもんなぁ、ってヨコシマな気持ちと、迷いどころです。