社会の窓
しばらく前にも書いたのだけれど、どうも今年は否が応でもこれから先を考えさせられる時期のようです。
テニュアもとれたし、これから5年後に、『あー よくやったなぁー』『これは達成したわ〜』って何について言えてるようになりたいかしっかり考えようと思いつつ、あっというまに体制という化け物に飲み込まれた今年前半。
消費されないように!って思ってたのに、どんなに足掻いてもダメで、軽〜く消費されてしまいました。
なんだか、毎日がカフカの小説の中にいるよう。
(モンティー・パイソンの映画の中でもいいね)
今学期の半ばに、ウリの種まいたらスイカの芽が出てきて、ちょっとびっくり、って書いたのですが、その芽はとりあえず出てこなかったので何も考えずにおったのですが。
今週、これから立ち上げるプログラムのディレクターになってほしいんだけど?ってお誘いがきました。ちとびっくり、戸惑っております。
スイカの芽のことでほっとしてたら、『椰子の木はいらんかね?』
みたいはお話がやってきて、 ええ〜〜〜っっ(笑)
もっとびっくりしたのは、
『もう副大学長や学長に、君の名前だして、話してあるんだ』
えぇぇぇぇぇぇぇぇ(それ順番、逆じゃなかとね?)
うちの学校らしいですね。
コミットメントは、外からやってくる。
昨日の歓送会でも、別の部署のディレクターの人から、
『話し聞いたわよ。 大丈夫よ、なんでも相談にのるから』
って・・・・・ えと、まだ引き受けてないよ?
ま、そんなことはさておき。
自分はどうしたいか。
これから先の5年は、とにかく自分の勉強を優先させたいのです。
そこを支点にして考えてるのだけれど、新しい仕事が勉強の妨げになるか?
このポジションを引き受けると、受け持ちのクラスが4クラスから2クラスに減ります。 その分、アドミンの仕事が増えるわけなのだけれど。
勉強の妨げになるかどうかは、五分五分の可能性。
今のままの仕事の形態では勉強の時間がないってのは身をもって実証済み。
だったら、勉強がもう少しできるような環境におけるかもしれないリスクをとってもいいかな。 少なくとも、現状維持のままでは出てこない可能性に賭けるってことができるだけでも、プラスなのかな。
あとは、新しい仕事を、どの程度信じることができるか。
(プログラムのないように関しては、懐疑的なBiribi)
信心してなくたって、教会やお寺に行ったり、祭事に参加はできるし。
パスカルは、信心なんてなくったっていい、って言ってるし(笑)
Y字路で、そんなこと考えてます
(こんな忙しいときに、Y字路に立たせんでよねー)