社会の窓
鼻息荒くいきなり新年のスタートをDCできって、すでに始まっちゃってる学期に飛び込んで、あっと気がつけばもう2月も終わり。
まだ今年の抱負、書いてないやん!
このまま形にせずに2013年が過ぎていったらいやなので、遅ばせながら、言葉にしながら形にしていってみます(あいかわらずの、見切り発車です)
去年のテーマは、翩々。
少しづつ、いろんな力をぬいて、自由になってきたような気がします。
木や植物が枯れて土に返るのがサイクルの一部のように、変わっていくものとか、あきらめるものとか、終えるものとか、そんな過程にいるんだな、と落ち着いて向かいあうことを今年も大切にしたいと思います。
学内の倫理観が良くなる可能性にあまり投資しないことも、そのひとつ。
手放すことも、新しい土壌を作るために必要な過程の一部。
今年のテーマは、独立。
『自分』からの独立。
DCで過ごした1週間が象徴するように、去年と違って、今年はなにか新しいものが開き始めてるような気がします。
それが何だか、さっぱり今のところはわからないのだけれど。
それが何だか分かった時のために、どこに向かって進めばいいのかわかったときのために、自分のなかの土を耕すことに専念する1年にしたいのです。 いままで大切だと思い込んで、依存してきた考え方も、思い切って手放す時のような気がするのです。
土に新しい空気をいれてあげるには、古い根を断ち切ったり、新しい鍬にもちかえたりしないと、結局は同じことを堂々巡りで繰り返すだけのような気がしてきて、せっかく開いてきた何かをのがしそうな気がするのです。
そのためのサブ・テーマ(笑)は、
『媒体を変える』。
お茶とかコーヒーを何杯飲んでも水分補給にはならないように、知識や経験の取り入れも、媒体によって身になり方が違うだろうから、同じことや弱点を繰り返さないように、生活や知的呼吸の媒体を変えてみる。
ホロコースト研究は、その新しい媒体かもしれないし、そうじゃないかもしれないけど、とりあえず、いっぱい勉強してみる。どこに向かってるかさっぱりわかんないけど、でも間違ってた方向に進んでるとは感じないから、必要な遠回りをしてるんだろうな。
絡まった糸のような書きかけの論文が2本、幽霊のように軽く重たい存在なのだけれど、その糸を、今年の終わりまでには少し解くことができるかな? あたらしい窓から覗いてみたら、新しいほどきかたがみつかるかな?
いろいろコーフン度の高い経験が多い一年になりそうだけれど、あわてず、落ち着いて、古いアイディアも、新しい経験も、ゆっくり消化できた、って言える1年にできるといいな、と思ってます。