社会の窓
Biribiより一足先にお誕生日を迎えた、大学時代のお友達あったんが『書類のわくに記入するとき違和感がある』って書いていたけれど、ほんとにそうだわ。
40歳って、もっと大人なんだと思ってたけれど、30歳になったときと同じように、精神年齢と実年齢のギャップに違和感があります。 年をとるって、そういうことなのかしら。 年相応の振る舞いってのは、周りの人たちの期待みたいに外的なもののプレッシャーから成り立つものなのかもね。
ん、じゃぁそういう機会にめぐり合うまで、のんびり行くことにしよう(笑)
アメリカでは、mid-age crisisの年齢です。
直訳すると、中年の危機?
『おれの人生って?!』って思う時期で、普通の誕生日とはちょっと扱いが違うようです。
一般的な生活だと、ちょうど子供の手がはなれて『あたしの人生って・・・』って思ったり、いちおう仕事で管理職なんかについてこなれてきたころに『これは自分が本当にしたいことなんだろうか』なんて思ったり、そんなかんじで突然スポーツカーを買ったり、新しいアイデンティティーを探しにでたりする時期のようです。
知り合いにも、ポルシェ買った人とか、パチンコマシーンを買って家に備え付けたひととか、浮気とか、離婚とか、転職とか、人それぞれのようです。
ベッキー姉さんは、ちょうどお母さんを亡くした時期だったとか。
Biribiにとっても、象徴的な部分で転機がありました。
今年日本に帰って気づいたことは、『日本という家をなくした』ということ。
もちろん両親も友達も健在なのだけれど、わたしが日本を離れて14年。
みんなそれぞれの生活のパターンがあって、生活の拘束があって、それはあたりまえなのだけれど、わたしはその一部ではないのだな、とこう、肌身にしみたのが、今年の帰省でした。
とくに『これ』という出来事があるわけでもなく、たまに帰ってきているのだから特別扱いしてほしいというわけでもなく(みんな忙しいのに時間つくってくれて、十分ありがたいの)、2ヶ月の滞在の間はほんとうにふつーの生活をしていたのですけどね。
あぁ わたしの生活はもうここにはないのだな。
頭でわかっていても気持ちは否定していたことが、言葉になって現前したのが、今年という年のようです。
数年前に福岡にある大学へのお話があったときはモーレツにお受けしたかったのだけれど、不思議なことに、今は日本の大学で働くという理想はさっぱりありません。
特に具体的な理由があるわけではなく、ただそういう欲望がなくなったとしか説明ができないのですが。 こういうのも、わたしと日本との関係が変わってきていることの兆しなのかも。
んじゃ、これから『日本』とはわたしにとってどういうところなのか、と考えながらすごした2ヶ月。
Biribiの答えは、2年ごとの帰省は、お宮参りみたいなもんなのかも。
とくにご利益があるかどうかはわからないけれど、行っといて損はないというか(笑)
いろんな人たちに支えてもらって今があるのだから、御礼参りのようなもので、行った経験をお守りのようにまたもらって帰ってくることなんだな。
これから、アメリカとの付き合い方も変わらなければいけないだろうし、なんつたってファビはアメリカ人でもあるので、またぼちぼち、そういうことを考えたり、考えなかったりしながら、崖っぷちにたちつつ仕事に追われて、ヘンゼルとファビと一緒にすごしていく10年になるのだろうな。