社会の窓

今年つれて来ている生徒は6人。少ないけれど、Honors Programといって優秀な生徒だけのプログラムに入っている生徒たちのみなのです。 ベルリンに来る前は、ゼミ形式で毎週2回、カルメンちゃんと一緒に授業。 ベルリンにいる間に勉強したことがいろんな形で彼らの頭の中でまとまったり散らばったりするように作り上げたクラス。 


早速、初日の今日から彼らの頭のなかがいろんな方向に稼働し始めたようです。



今年も、ザクセンハウセン強制収容所のガイドの方が素晴らしくて。 毎回新しいことをたくさん学びます。 


ここは殺戮のための収容所ではなく強制労働のための場所。 ユダヤ人以外に、政治的な反対活動をした人たち、エホバの証人、障害のある人、ゲイ、そして『非社会的』な人たち(娼婦、働かない人、アル中など)、ローマ・シンティ(ジプシー)の人たち。 



ここが初めて現代建築を取り入れて設計された場所というのは知っていたけれど、その設計が実際には効率的でなかったっから、パノプティコンと同じ原理を使った収容所は作られなかったのは知らなかった。  



戦後、ソビエトが同じ場所を収容所として再び使っていて、ナチス時代にこの収容所で生き残ったひとたちに捧げるための記念碑を建てているのだけれど、それがすごく政治的にファシズムの視野を妨げるという象徴的な意味が込めてあるってのは初めて知った。  おぉぉぉぉ(興奮)


生徒たちも、『あーーーなんであの文献を読んだのか、今やっとわかった!』って(笑)


ベルリンから帰って来たら、生徒たちはこの経験を生かすための課題が待っています。 彼らの質問や会話から、みんな頭がいろんな方向に回転してるのがよくわかります。 うひ♪



電車にゆられてハカシャマークトという地域へ。この地域、大好き。
お昼ご飯を食べた後は、盲目のユダヤ人を雇って救済しようとしたひと、オットー・ヴァイスが運営していたブラシ工場跡へ。 


ここは博物館になっていて、小さいけれどおすすめ。



ナチス政権に疑問を持っているひとはいて、こうやってユダヤ人を助けたいと思っていたひとたいたのだけれど、彼らが反抗勢力として団結するためのプラットフォームを見いだせなかったんだよね。こういう可能性を崩して行ったのがナチスなんだけれど、せめて、例えば、教会がそういうプラットフォムになり得なかったってことはとても残念。



何人もの人が協力して13人の人を救おうとすることもできるけれど、たった一人の人の通報で、彼らはアウシュビッツに送られることも可能だったわけで。



その通報者の名前さえ分かっているのに、戦後、そんな人は罰を受けるはずもなく(怒)。  ただただ普通の隣人1が、13人の人の生と未来を破壊する力を持っているなんて。 電話一本で。  


ホロコーストは、一般の人の事なかれ主義や、こんな意地悪なくしては起こりえなかったのですね。 だれもが防げ得たことかもしれません。 


どんな小さい行動だって、正しいことかそうでないことかを基準にしていれば、意味のある行動になる可能性があるってことですね。  だから、自分がやってもしょうがないって思うことでも、正しいと思うことであれば、意味を生み出す可能性に投資することができるってことなのかも。