今年は、初めて日本の大学で講演をさせてもらうという貴重な体験をしてきました。


なんせ日本語で話しするなんて初めて。



日本での講演てのはどちらかというと情報(新しい知識)を得ることに重点がおいてあるんだろうなぁと想像して、最初はそういう方向で準備を進めていたのだけれど、どーもしっくりこない。 結局数日前に方向転換して、わたしの理論的ベースを体現するように構成のし直しをしました。



ホロコースト研究から概念的ヒントを引き出しながら、日本の歴史問題を考えたら、どのような新たな問題提起ができて、何を学び直すというか学びもどす(unlearn)する必要があるのかを、来てくれた方たちと一緒に考えてみるという形にしました。  既存の言説からの自由を求める、その方法を模索することのリスクと可能性について、そして自由と正義の関係を考え直してみようという提案だったのですが。



正直、あんまり手応えのない感じでした。   ぷはー




福岡から来てくれたゲム氏とも話したんだけれど、


1.まず、あたしの日本語力の薄さ。
英語でやったらもっと響く話し方ができるのに、日本語にそのままにしたらペラッペラのうすーい言葉のつながりになっちゃった。 今の日本に住んでいる人たちと繋がるには、あたしにはもっとたくさんの努力が必要なんんだろうな。  


⒉ やっぱ、講義のフォーマットのせいもあると思う。
情報とか知識を期待する習慣が聴衆についてるから(バラエティー番組みてたら、聞き方がいかに文化的に形作られてるかわかるわ)、わたしのフォーマットは戸惑うものだったのかもしれないな。でもゼミとか入ってるんだったら、そういうのもアリなんじゃないかと思うんだけど。


3.コンセプトを引き出す源のホロコーストが日本人には遠すぎた。  
ホロコーストってなんだったっけ?」みたいな子もいたし  ぶっ   あたしは大学でホロコースト研究をしてるキショイ(失礼)川島先生から先生のクラスをとったから知ってたけど、ホロコーストの一般知識度の深さを読み誤ったのは、わたしが悪かった。



他にもいろいろありそうだけれど、こんなところかな。
来てくれている先生方の中に、「オレの知識披露させろさせろ妖怪」もいまして、質疑応答で目が点になることもあったけど、これも極端にみえるけれど、実は結構ありがちだとおもうのね。 本当に会話しながら新しい広がりを作っていくのって、すごくスキルのいること。 



話すって場数を踏むしかないんだけれど、あたしの研究の前提が思ってた以上にアメリカ文化を前提にしてるってのがよくわかったってのは、得たものとしてすごく貴重かも。 来年、福岡である国際学会での提案では、学者しか聞かないふつーの研究発表じゃなくって、在日韓国人・中国人・台湾人・フィリピン人などなどの方たちがどんな風に歴史問題について感じているのか、そんなことを一緒に話す機会をつくりませんか?って提案してるんだけど、実現させたいなぁ。  どこから手をつければいいのかな。