社会の窓

今回の大統領選で勝ったトランプ氏。 
共和党からの出馬だけれど、それは便宜上で共和党を通して出たという感じで、正確にはどちらの党も代表するような人ではありません。


そんなトランプ氏が勝ったってのは、どういう意味があるのか。
彼の勝利は何を象徴しているのか。



大雑把に私が今感じているのは、これはアメリカの選挙のあり方への巨大罰ゲームなん?ってところです。


アメリカは直接選挙だけれど、そうでもない、ビミョーな選挙生のあり方がまず問題。
今年の選挙でも(ヒラリー)、2000年の選挙でも(ゴア)、一般の有権者はヒラリー(その前はゴア)を支持してます。  


が、2段階目のエレクトラル・カレッジではトランプが勝って、それが大統領を決めることになってます。 


もともと、トランプみたいな人が出てこないように作られたはずのカレッジ制なのに、それが逆噴射。 それこそコミュニケーション手段が発達していなかった大昔に作られた選挙法の見直しを始める必要性を痛感させるように、トランプみたいなのが勝つって事態が起こってるような気がします。


そして、ヒラリーみたいな政治界の大御所家系図みたいなものへの反乱の象徴としての、トランプ氏の勝利。


今までのように、政治・社会・文化・倫理的価値観が、現存の2党制のあり方とは一致しなくなってきた今の時代で、2党政治のあり方を超えた政治をどう想像していくのか。 



白人男性であるということが絶対的な優越権であるアメリカ社会で、その白人男性たちがあたかも、マージンな場所で虐げられているマイノリティーのような投票をしているところが気持ち悪いことの限りです。 


いろんなところでトランプ反対のプロテストが起こってますが、トランプ氏の勝利は民主主義の一部。結果が気に入らないからといって抗議運動するのは、すっとこどっこい。 


ヒラリー支持者や、トランプ反対者は、これからどうやって市民としてトランプ大統領の指示するアメリカの社会の中で役割を果たしていくべきか、そいうう前向きな話をしていくべき。


ヒラリーのコンセッション・スピーチは、私たちにどうあるべきか、すごくキリッとした指標をあたえてくれていると思います。 あのスピーチをしている彼女のように、あるべきなのです。