社会の窓
毎学期の始めに、始業式ならぬ始業イベントをするのが恒例になりつつあるうちの大学長。
今学期は、職員・スタッフ全員に『多様性』について考えてもらおうと、午前中にサンフランシスコ州立大からスピーカーによる講演。 午後は全員で1時間のディスカッション。
講演の内容は、平等と公平の違いについて。 60年代から教育機関は「平等」(equal)を目指して来たけれど、それは失敗に終わっている。 貧富、人種、国籍、性別、性差などの多様性を包容するためには、公平(equitable)な教育を目指さなければならない。
3人の子供がいて、一人は喉が乾いている。もう一人はお腹が空いている。もう一人は退屈している。
平等な教育では、全員に同じもの(水)を与える。 が、それは二人の生徒が必要としているものではない。
公平な教育とは、生徒に必要なステップとかリソースを与えるもの。
平等と公平の差を説明はこういうビジュアルでよく説明されます。
この「公平」からの視点からだと、どういう教授法を想像し始めることができるのだろうか。 それが講演のおおまかな概要。
すごくダイナミックで、ユーモアがあって、とても話し上手で、職員もスタッフも「すっごく良かった!」って声がたくさん。
個人的には、「理論的に、この話むっちゃ昔の話やない? 15年ぐらい前だったよ。 しかも、古いどころか、逆行してる感じ?!」って思ってたんですけどね。
その話を文学部の先生としてたら、
『僕らみたいな、文系の一部に属する人から見たらすっごい古い話だけど、理系とか社会科学系とか、ビジネス系とか、そしてスタッフとかは初めて聞く話じゃない? だから、そういう言説に触れることができる機会があったてことは有意義かもよ?』
そうだね!
私たちにとって古いってだけで評価するのは視野が狭すぎだ。 みんなすごく感銘を受けてたから、すごく価値のある講演だったんだね。
えらい、大学長。
(そして、講演代の100万払ってくれてありがとう)
講演を聞いた後は、体育館に移動してランチをしながら多様性についてのディスカッション。
ふつう、講演を聞いた後、みんなそれぞれ思うことがあるけれど、それを共有する場がなく、そのままその興奮は行き場がなくなって消えてしまうので、今学期はランチをしながら講演についての話を続けることに。
うちの大学の制度とか採用方式ではどう多様性を推進してる?
どんなルールややり方が多様性を阻んでいる?
どうやったらうちの大学は多様性をもっと組み込んで行ける?
ひとテーブル8人で、こんな感じの質問についてそれぞれの意見を出していく形の午後のイベント。
各テーブルにノートパソコンがあるので、ドットストーミングというソフトウェアを使ってテーブルでのアイディアを記録。
これをもとに、大学の運営プランの各所で多様性のために何が機能していて、何が障害になっていて、何を変えて行くべきか、という次のレベルの話へとつなげて行くことになってます。
どこの大学も始業式は決まってつまらないですけどね(しょーもない祝辞とかスピーチとかさ)、うちの大学長、こんな変わったことやるので大好きです(笑)
職員・スタッフ合わせて800人のイベント。
年末に担当していた先生がなーんも準備が終わってないことが発覚。 大学長から呼び出されて、Biribiの仕事となりました(泣)
副大学長のスピーチ書いたり、ポスターデザインしたり、イベントの準備で冬休みがぶっ飛びました。 ミシャが来ているときは仕事しなかったけど、それ以外は猛ダッシュ。
今週から新学期が始まるのだけれど、すっかり燃え尽きてます。
今、明日から始まるクラスの準備してます。
なんとか徹夜だけは避けたいとことです(んじゃブログとかやらずにがんばらんば、あたし)