友達

先週末テキサス州にあるダラスに行ってきました。
久しぶりに会うsoul mate との再開です。一般的に、soul mateとは恋人に対して使う言葉のようですが(辞書なんかでも「情夫または情婦」とあります)、私にとってダーリンはまた違った種類のsoul mateで、今回再開した友達Ishanは8年来の古い親友。飾ることなく、力を入れることなく、自然にすんなり意思疎通ができる、そんな友達です。

前回会ったのは3年半前。電話では頻繁に話すのに、お互いあれやこれやあって、なかなか重たい腰を上げて会うことなく、あっという間。私が夏休み中で時間の自由が比較的つきやすいこともあって、「会う?」って話をして2時間後には準備完了。It happenes just like that.

久しぶりにIshanと彼の奥さんGayaに会ってすごした時間は、とてもゆっくり流れました。ダラスは「美」とはまったく縁の無い都市だし(はっきりいって醜い!)、以前テキサスにいたときは何度か訪れたこともあるので、今回の旅行の第一目的は一緒にお茶しながらしゃべること。まったく計画を立てず、思いつきで散歩したり、ビール飲んでほかの友達と会ったり。

昨日書いたように、30代から描ける未来像は20代からのそれとはちがったものだと思うんです。そういった意味で、彼がいれてくれたお茶を飲みながら彼の話を聞いたり、自分のストーリーを語っていると、20代のころとは違ったお互いの像が明確に現れてきました。20代のころは、似ているところ、以心伝心なことが私たちの友達関係を特別なもの、soul mates、にしたけれど、今は一緒にすごさなかった時間と空間が生んだ変化や違いが共存する、依然とは質の異なる関係に。改めて、誰かと「現在」を共有してるということの価値を確認。

IshanとGayaは昨年末の津波の被害者。スリランカでの津波の経験は彼らにwhat do I want in my life?と考えることを余儀なくさたそうです。そんなこともあって、今回の旅行に実行力を発揮した私たち。これからはもっと頻繁に会うこと、そして2,3年に一度はIshan,Gaya、ダーリンと私の4人で一緒に夏休みを過ごそうってことになりました。早く一人前になって稼がねばっっ。

ダラスから戻ってきて、誰もいないアパートに帰ってきたら、皮肉にも、ちょっとホームシックな気持ちになりました。その日の夜、Ishanが電話してきて、「自分の家にいるから、こう言うの変なんだけど、ホームシックみたいな感じだ」。 soul mateの以心伝心電波は、30代になっても、いろんな変遷をとげても、健在みたい。

言葉はもちろん文化も生活も政治環境もなにもかも全く違う場所から来た私と彼が、こんないい友達になれるというのは、すごく、開放的です。