革命的ブルジョア

わが屋の近所にWedgeというCo-op(生協)がある。
最近のオーガニック(有機栽培)ブームに乗りまくって、人気がある。
うちから1.5ブロックという近さなので、たまに、「あ、たまご買い忘れた」とか、「ピーマン一個ほしい」とか、そんなときに行くことがある。
幾たびに思う。私はこのスーパーがきらいだ。


生協という発想そのものはすごく賛成するし、オーガニックなものや健康志向のものは、それは大切なことだと思う。とくにアメリカにきてから、大量生産された野菜は野菜の味がしないということを日々思う。にんじんなんて、にんじん臭くないし、セロリだって臭くない。ピーマンは苦くないし、きゅうりは水のあじがするだけ。 だから、「野菜食べてる!」ってきがするから、ゴーヤを食べるのが好きにもなった。


ミネアポリスは政治的にリベラルで、農民運動を中心とするポピュリストの伝統を受け継ぐ場所。だから、いろんな職業、経済階級、etc.の人たちが、いろんな形で「政治的」活動・運動にかかわる。 それは、ものすごくすばらしい。


でもね、Wedgeに行く度におもうのよ。
なんでピーマン一個が400円以上するのよ? なんで、クロワッサンがほかのスーパーの2倍の値段なんよ? お金持ちのためのスーパーはほかにもあるから、そういう路線でいくんだったら、それでいいんよ。 でもね、「環境のためです!」的アクティビズムを展開しているなかに、なんか、階級闘争的においが漂ってるのよ。あたしらは労働階級よ、みたいな。 Wedgeで買い物するのは、健康のためも歩けど、間接的にも環境・労働的アクティビズムをサポートしてるの!みたいな、なんか小ざかしい空気がながれてるんだな。


だいたい1個400円以上するピーマンや、普通の2.5倍もする牛乳を変える人たちは、みんなブルジョアなのよ。お金持ちなのよ。お金をもってるということは、持ってないことに比べたら、良いのです。そして、学生も含めて、多くは中流階級の人たち。 対象がなんであれ(環境でも動物でもドメスティック・バイオレンスの被害者でも、津波の被災者でも)、「たすけてあげなければ!」と息巻くのはいいが、そこに、歴史の繰り返しをちゃんと見ようや。 


いつの時代も、ブルジョア青年たちは自分たちを政治化そして革命的にするために、「たすけられるべきもの」たちを形作ってきた。 そして、彼らの政治化は、ナルシズム以的側面がものすごく強い。その、自分の政治的発話の立ち位置、それを知ることが、「政治」的にあることの一歩なのだ。


この傾向のひとつに、マルチカルチャリズム(多文化主義)というのがある。詳しくは機を改めて書くけど、簡単に言うと、「いろんな文化が共存するのはええこっちゃ」という考え。 アメリカではそれはよく「消費」という形で体現される(多文化であるということは、いろんな国の「エキゾチック」なものを食ったりすることができる、という風に思っているヒトが、たくさんいる)。 例えば、寿司が流行ったのもそう。 寿司を食うのは、コスモポリタンなしるし♪みたいなノリで。 今は健康ブームで枝豆がはやってます。


Wedgeも、その食における多文化主義を実行している。
白菜も、日本ナスもある。 そして、柿が売ってあった。
アメリカで柿をみることは、ものすご〜くまれ。 柿を知っているアメリカ人は、さらに稀。 コスモポリタンな食に通じたヒトが、「オオ〜、カキ〜、イッツ ヘルシー」なんていいながら(←けんか売ってる?)、買っていくんだろうなぁ。ちなみに、一個250円。 なめてますな。


ふとみると、山積みしてある柿は・・・・・・ 渋柿じゃないか!



しっかり渋みをかみ締めて、ヘルシーになってくれ、アメリカ人!
渋い顔して、ブルジョア革命、かんばってくれや〜!