社会の窓

テニュア審査、その後。


カレッジをパスした後は、カレッジ長 → プロボースト(副大学長みたいな人)→ 大学長 → 州の教育委員会(BOR)へと段階を踏んでいきます。



大学長からお手紙がきて、




『あなたのテニュア&昇進の申請を、サポートします』





とのこと。





きゃっほ☆





テニュアが内定です。



これからBORへと審査は上がるのですが、この段階でコケるケースは早々ないので、テニュア&昇進、ほぼ確定です。 



何も問題なければ、9月の秋学期にテニュアをもらうと同時に、助教授へと昇進します。  あ、じゃぱんでは今は違う呼び方なんかな? 准教授?



以前にも書きましたが、テニュアは学問の自由のためには必要です。
そのせいで研究せずにのーのーとしている人はびこる、ということももちろん多々あります。 でも、それはいわゆる必要経費というか、必要悪というか、学問の自由の保障というのは、そんな問題を上回る価値があると、Biribiは信じてます。



が、きっとアメリカではBiribiたちの世代の間に、テニュア制度はきっとなくなってしまいます。



学術関係の職は、不況とはいえ、毎年たくさん出ています。
ただ、その50%以上ががテニュアにつながるポジション(テニュア・トラック)ではなく、フルタイム・パートタイムです。  大学の経営姿勢が大きく変わっていると同時に、研究職の意味も、大きく変わっています。


テニュアで守られた場所から叫ぶ声がどの程度革命的なのか、というパラドックスもあるけれど、テニュア亡き後、どうやって学問の自由を追求するのか、そういうことも考えていかなければいけないんでしょうね。